7/6(金)ニュースの視点 No065
「久間辞任はしょうがない」
久間章生(ふみお)防衛相が辞任した。千葉県柏市で行われた講演で、長崎への原爆投下を容認する発言をしていたからだ。戦争が8月15日に終わらなければ北海道はソ連に占領されていたという歴史認識を示した後でこう述べた。
「私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理で、今しょうがないなと思っている」
発言直後、安倍首相は「アメリカの考え方について紹介したと承知している」と責任を問わない姿勢を示した。しかし、この言い訳は通用しなかった。久間大臣は、「しょうがないは口ぐせで、九州の人はよく使う。あきらめのような」という意味だ、と弁明したが、「あきらめて受け入れる」容認の事実に変わりはない。
被災者からの抗議、野党からの罷免要求、事態の広がりに驚いた自民党内部からの悲鳴に加えて、公明党から公然と辞任を求める声が起きて、ようやく決断した。理由は「参院選が戦えない」の一点だ。
ところで20年ほど前、私はニューメキシコ州のロスアラモス研究所の科学資料館を訪れたことがある。そこには広島に落とされた「リトルボーイ」、長崎に落とされた「ファットマン」の実物大模型が展示されていた。「小さな少年」があまりにも巨大だったのに驚かされた。そばには「キノコ雲」の写真と「原爆投下によって、多くのアメリカ人兵士の命を救った」と書かれたプレートがあった。しかし、キノコ雲の下で何十万人という市民が犠牲になったことは触れられていなかった。多くの人が今も原爆症に苦しんでいる事実もなかった。原子爆弾に触れたとき、背筋に冷たいものが走ったのを憶えている。
原爆投下はトルーマン大統領の強い意志で行われた。核兵器の威力を試してみたいという誘惑と、戦後体制で、とくに対ソ連に対して有利な立場に立とうとする狙いがあった。当時、原爆を使わなくても日本の降伏は時間の問題だった。ソ連参戦によって日本が降伏する前になんとしても原爆を使用したかったのが本音だ。それも2種類の原爆を試したかったために長崎までもが犠牲になった。「終戦を早め、大勢の日本人の命を救った」などというのは詭弁に過ぎない。
久間大臣は今年1月、アメリカは「核兵器がさもあるかのように(イラク)戦争に踏み切ったが、判断が間違っていたのではないか」と発言し、アメリカ政府を怒らせた。防衛大臣になってアメリカへすり寄る姿勢を見せようとしたのかもしれない。
久間氏の歴史認識には、戦後日本の核に関するあいまい戦略が反映されている。政府はアメリカの核の傘の下に隠れながら、核廃絶を訴えてきた。その矛盾する姿は説得力を持ち得ない。
アメリカに反省を求めないまま、あいまいな外交姿勢を取り続けるならば、国連常任理事国入りも夢のまた夢だ。
久間章生(ふみお)防衛相が辞任した。千葉県柏市で行われた講演で、長崎への原爆投下を容認する発言をしていたからだ。戦争が8月15日に終わらなければ北海道はソ連に占領されていたという歴史認識を示した後でこう述べた。
「私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理で、今しょうがないなと思っている」
発言直後、安倍首相は「アメリカの考え方について紹介したと承知している」と責任を問わない姿勢を示した。しかし、この言い訳は通用しなかった。久間大臣は、「しょうがないは口ぐせで、九州の人はよく使う。あきらめのような」という意味だ、と弁明したが、「あきらめて受け入れる」容認の事実に変わりはない。
被災者からの抗議、野党からの罷免要求、事態の広がりに驚いた自民党内部からの悲鳴に加えて、公明党から公然と辞任を求める声が起きて、ようやく決断した。理由は「参院選が戦えない」の一点だ。
ところで20年ほど前、私はニューメキシコ州のロスアラモス研究所の科学資料館を訪れたことがある。そこには広島に落とされた「リトルボーイ」、長崎に落とされた「ファットマン」の実物大模型が展示されていた。「小さな少年」があまりにも巨大だったのに驚かされた。そばには「キノコ雲」の写真と「原爆投下によって、多くのアメリカ人兵士の命を救った」と書かれたプレートがあった。しかし、キノコ雲の下で何十万人という市民が犠牲になったことは触れられていなかった。多くの人が今も原爆症に苦しんでいる事実もなかった。原子爆弾に触れたとき、背筋に冷たいものが走ったのを憶えている。
原爆投下はトルーマン大統領の強い意志で行われた。核兵器の威力を試してみたいという誘惑と、戦後体制で、とくに対ソ連に対して有利な立場に立とうとする狙いがあった。当時、原爆を使わなくても日本の降伏は時間の問題だった。ソ連参戦によって日本が降伏する前になんとしても原爆を使用したかったのが本音だ。それも2種類の原爆を試したかったために長崎までもが犠牲になった。「終戦を早め、大勢の日本人の命を救った」などというのは詭弁に過ぎない。
久間大臣は今年1月、アメリカは「核兵器がさもあるかのように(イラク)戦争に踏み切ったが、判断が間違っていたのではないか」と発言し、アメリカ政府を怒らせた。防衛大臣になってアメリカへすり寄る姿勢を見せようとしたのかもしれない。
久間氏の歴史認識には、戦後日本の核に関するあいまい戦略が反映されている。政府はアメリカの核の傘の下に隠れながら、核廃絶を訴えてきた。その矛盾する姿は説得力を持ち得ない。
アメリカに反省を求めないまま、あいまいな外交姿勢を取り続けるならば、国連常任理事国入りも夢のまた夢だ。
