10/6(金) ニュースの視点No027
「これは自殺じゃない。他殺だ」
小学6年生の少女が教室で自殺をした。事件は昨年の9月9日の朝、北海道滝川(たきかわ)市にある小学校で起きた。登校してきたクラスメイトが首をつっている女児を発見し、病院に運ばれたが、意識不明のまま今年1月6日に死亡した。教師の机の上には7通の遺書が残されていた。そのうちの一つ、6年生宛の遺書にはこう書かれていた。
「6年生のことを考えていると『大嫌い』とか『最てい』と言う言葉がうかびます。みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした」
明らかにいじめに対しての抗議の意思が読み取れる。しかし、学校も市の教育委員会も、その事実をなかなか認めようとしなかった。
文部科学省の調査によると、小中高等学校で昨年度1年間に起きたいじめの件数は2万143件。自殺者は105人に上っている。うち、小学校では5087件が報告されている。しかし、今回のように学校が認めてこなかったケースもあるために、公表された数字の裏にはまだ数多くの「いじめ」が隠されているものと思われる。
ところで、同じ文部科学省の「生徒指導関係略年表」をみると、学校で起きている問題が時代とともに変化していることが見て取れる。
1980年ころ、「校内暴力」が吹き荒れていた。これに対して学校側は問題生徒を出席停止にするなどの厳しい処置で押さえ込む。やがて、校内暴力は沈静化に向かうが、それと入れ替わるように出てきたのが「いじめ」だ。85年から「いじめ」に対する通知・通達が増えてくる。
強権で押さえ込まれた生徒たちのうっぷんが、より陰湿な形で弱いものに向かっていったといえる。86年、東京・中野富士見中学校で起きた「葬式ごっこ」によるいじめは、その代表的事例だ。「いじめ」はやがて、クラスのほぼ全員で一人の子を徹底的に無視する「シカト」などの形を取るようになる。教師の目をごまかしやすく、大勢で行うので一人一人の加害者意識も薄くなるからだ。
「いじめはなかった」という生徒の言葉をそのまま信じてしまう教師や学校、教育委員会。事実を見抜けない、あるいは事実を認めたがらない体質こそが、「いじめ」を助長させていったといえる。私は、学校が事実をきちんと認め、それを公表し、面白半分にいじめに加担した児童たちに自分たちが行った「事の重大性」をはっきり自覚させるべきだと思う。問題を曖昧に解決させては、「いじめ」はいつまでもなくならない。
「望みどおり消えてやる」「これは自殺じゃない。他殺だ」「学校に行くのがこわい。人生に疲れて、もう死にたい」――これらは子どもたちの遺書に書かれていた言葉だ。
小学6年生の少女が教室で自殺をした。事件は昨年の9月9日の朝、北海道滝川(たきかわ)市にある小学校で起きた。登校してきたクラスメイトが首をつっている女児を発見し、病院に運ばれたが、意識不明のまま今年1月6日に死亡した。教師の机の上には7通の遺書が残されていた。そのうちの一つ、6年生宛の遺書にはこう書かれていた。
「6年生のことを考えていると『大嫌い』とか『最てい』と言う言葉がうかびます。みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした」
明らかにいじめに対しての抗議の意思が読み取れる。しかし、学校も市の教育委員会も、その事実をなかなか認めようとしなかった。
文部科学省の調査によると、小中高等学校で昨年度1年間に起きたいじめの件数は2万143件。自殺者は105人に上っている。うち、小学校では5087件が報告されている。しかし、今回のように学校が認めてこなかったケースもあるために、公表された数字の裏にはまだ数多くの「いじめ」が隠されているものと思われる。
ところで、同じ文部科学省の「生徒指導関係略年表」をみると、学校で起きている問題が時代とともに変化していることが見て取れる。
1980年ころ、「校内暴力」が吹き荒れていた。これに対して学校側は問題生徒を出席停止にするなどの厳しい処置で押さえ込む。やがて、校内暴力は沈静化に向かうが、それと入れ替わるように出てきたのが「いじめ」だ。85年から「いじめ」に対する通知・通達が増えてくる。
強権で押さえ込まれた生徒たちのうっぷんが、より陰湿な形で弱いものに向かっていったといえる。86年、東京・中野富士見中学校で起きた「葬式ごっこ」によるいじめは、その代表的事例だ。「いじめ」はやがて、クラスのほぼ全員で一人の子を徹底的に無視する「シカト」などの形を取るようになる。教師の目をごまかしやすく、大勢で行うので一人一人の加害者意識も薄くなるからだ。
「いじめはなかった」という生徒の言葉をそのまま信じてしまう教師や学校、教育委員会。事実を見抜けない、あるいは事実を認めたがらない体質こそが、「いじめ」を助長させていったといえる。私は、学校が事実をきちんと認め、それを公表し、面白半分にいじめに加担した児童たちに自分たちが行った「事の重大性」をはっきり自覚させるべきだと思う。問題を曖昧に解決させては、「いじめ」はいつまでもなくならない。
「望みどおり消えてやる」「これは自殺じゃない。他殺だ」「学校に行くのがこわい。人生に疲れて、もう死にたい」――これらは子どもたちの遺書に書かれていた言葉だ。
