2/15(金)
奇祭、喝采、「蘇民祭」
祭とはつねに「卑猥なもの」である。「蘇民祭」もそうだが、祭の多くはその年の「豊作を祝い」、翌年の「豊穣を祈る」行為である。
豊穣は何によってもたらされるのか―――古代の人々は「男女の交わり」と考えた。無から有を生む行為としての「男女の交合」を実りの原点としたからだ。だから、祭のクライマックスは「秘儀」であり、公開されない。
その代表が「大嘗祭」である。天皇が即位した最初の年に行われる「新嘗祭」をとくに「大嘗祭」と呼んでいる。その時、天皇は一人で天幕の中に入り、「秘儀」を執り行う。天皇は女性となり、天なる神(男性)との間で交わり、子(豊穣)を宿すという。
沖縄の「御嶽」(うたき)は神社の原型と言われている。うっそうとした森の細長い緑のトンネルをくぐっていくと、奧に円形に切り開かれた祭の場がある。そこで、巫女たちが丸く座して歌を歌い祈りを捧げる。大きな神社を歩いてみると分かるが、入り口に立つ鳥居は森の入り口の象徴であり、奧の神殿は祭が執り行われる空間の象徴でもある。
参道は「産道」であり、祭の場(神殿)は女性の「子宮」を象ったものである。賽銭箱の上からぶら下がっている鈴と紐は「男根」の象徴であるとされる。晴れ着姿の女性が紐を握り、振る姿は、そう考えると「卑猥」である。
「蘇民祭」の舞台となる黒石寺は、縁起を読むと神社的要素を兼ね備えた寺のようだ。地元に伝わる古くからの「祭」を受け継いでいる。
ところで、人間が神に近づくためには、「禊ぎ」が必要となる。「俗なる」人間が「聖なる」体に変身するためには、何日も前から肉食を断ち、清冽な水で身を清めなければならない。「水垢離」(みずごり)である。「蘇民祭」では、さらに火に炙られねばならない。生松の木で組まれた「巨大護摩」の上に登らなければならない。「紫燈木登り」(ひたきのぼり)である。あれは人間燻製機だ。護摩には「煩悩」を焼き尽くす意味がある。同時に、釈迦の口とも考えられている。五穀や水を投げ入れるのは、そのためだ。「蘇民祭」では、人間を丸ごと釈迦の口の中に投げ入れている構図だ。
午前4時から行われる「鬼子登り」がおそらく「秘儀」ではないかと思う。麻衣をつけた数え7歳の男の子2人を背負い、本堂と外に置かれた護摩台との間を行き来する。そして、そこから「蘇民袋」が引き出される。袋の中には「疫病の護符」が入っている。麻袋はおそらく男の子たちがつけた「麻衣」から本来は作られるのではないかと思う。
この「護符」は祭の起源とされている須佐之男命(すさのおのみこと)と蘇民将来の逸話に基づいている。貧乏ながらも旅の途中の須佐之男命を泊めた蘇民将来一家を、疫病から救った物語だ。
少し考えすぎかもしれないが、「蘇民袋」の中に入っているのは、「護符」であると同時に、豊穣をもたらす「種」(受精卵)ではないのだろうか。種は本堂内の「秘儀」によって創り出された。それを切り裂き大地にばらまく。神から渡された「聖なる袋」を切り裂く役目を担う者は、一切の汚れのない素裸な男でなければならないのは当然である。
多くの祭が「奇祭」と呼ばれるが、それは象徴するものに置き換えて、分かりにくくしているからだ。
豊穣を祈る「祭」には「秘儀」が隠されている。「実り」には「祈り」が込められている。

沖縄・斎場(せいふぁー)御嶽の祈りの場。

祈りの場は、日頃は何の変哲もない空間である。

御嶽の中から入り口の方を見ると、外はやけに明るかった。
祭とはつねに「卑猥なもの」である。「蘇民祭」もそうだが、祭の多くはその年の「豊作を祝い」、翌年の「豊穣を祈る」行為である。
豊穣は何によってもたらされるのか―――古代の人々は「男女の交わり」と考えた。無から有を生む行為としての「男女の交合」を実りの原点としたからだ。だから、祭のクライマックスは「秘儀」であり、公開されない。
その代表が「大嘗祭」である。天皇が即位した最初の年に行われる「新嘗祭」をとくに「大嘗祭」と呼んでいる。その時、天皇は一人で天幕の中に入り、「秘儀」を執り行う。天皇は女性となり、天なる神(男性)との間で交わり、子(豊穣)を宿すという。
沖縄の「御嶽」(うたき)は神社の原型と言われている。うっそうとした森の細長い緑のトンネルをくぐっていくと、奧に円形に切り開かれた祭の場がある。そこで、巫女たちが丸く座して歌を歌い祈りを捧げる。大きな神社を歩いてみると分かるが、入り口に立つ鳥居は森の入り口の象徴であり、奧の神殿は祭が執り行われる空間の象徴でもある。
参道は「産道」であり、祭の場(神殿)は女性の「子宮」を象ったものである。賽銭箱の上からぶら下がっている鈴と紐は「男根」の象徴であるとされる。晴れ着姿の女性が紐を握り、振る姿は、そう考えると「卑猥」である。
「蘇民祭」の舞台となる黒石寺は、縁起を読むと神社的要素を兼ね備えた寺のようだ。地元に伝わる古くからの「祭」を受け継いでいる。
ところで、人間が神に近づくためには、「禊ぎ」が必要となる。「俗なる」人間が「聖なる」体に変身するためには、何日も前から肉食を断ち、清冽な水で身を清めなければならない。「水垢離」(みずごり)である。「蘇民祭」では、さらに火に炙られねばならない。生松の木で組まれた「巨大護摩」の上に登らなければならない。「紫燈木登り」(ひたきのぼり)である。あれは人間燻製機だ。護摩には「煩悩」を焼き尽くす意味がある。同時に、釈迦の口とも考えられている。五穀や水を投げ入れるのは、そのためだ。「蘇民祭」では、人間を丸ごと釈迦の口の中に投げ入れている構図だ。
午前4時から行われる「鬼子登り」がおそらく「秘儀」ではないかと思う。麻衣をつけた数え7歳の男の子2人を背負い、本堂と外に置かれた護摩台との間を行き来する。そして、そこから「蘇民袋」が引き出される。袋の中には「疫病の護符」が入っている。麻袋はおそらく男の子たちがつけた「麻衣」から本来は作られるのではないかと思う。
この「護符」は祭の起源とされている須佐之男命(すさのおのみこと)と蘇民将来の逸話に基づいている。貧乏ながらも旅の途中の須佐之男命を泊めた蘇民将来一家を、疫病から救った物語だ。
少し考えすぎかもしれないが、「蘇民袋」の中に入っているのは、「護符」であると同時に、豊穣をもたらす「種」(受精卵)ではないのだろうか。種は本堂内の「秘儀」によって創り出された。それを切り裂き大地にばらまく。神から渡された「聖なる袋」を切り裂く役目を担う者は、一切の汚れのない素裸な男でなければならないのは当然である。
多くの祭が「奇祭」と呼ばれるが、それは象徴するものに置き換えて、分かりにくくしているからだ。
豊穣を祈る「祭」には「秘儀」が隠されている。「実り」には「祈り」が込められている。
沖縄・斎場(せいふぁー)御嶽の祈りの場。
祈りの場は、日頃は何の変哲もない空間である。
御嶽の中から入り口の方を見ると、外はやけに明るかった。
