11/16(金)
「最後のご褒美」
秋のイタリアを走ってきた。ミラノに着いた翌朝9時過ぎ、ドゥオーモ近くのインフォメーションセンターに行くと、9時から開くはずなのに人気がなかった。イタリア人は相変わらず時間にルーズだなと思っていたら、実際は朝の8時過ぎだった。その日の午前0時に夏時間が終わって、突然、冬時間に変わっていたのだ。
初めての海外旅行は30年前、やはりイタリアだった。その時は、冬時間が終わって夏時間に変わるのを経験した。ホテルのフロント係が「明日から時間が変わるよ」とニコニコしながら注意してくれた。今回は、エレベーターの中に小さな張り紙があっただけ。陽気なイタリア人は陰を潜め、不機嫌そうなイタリア人が増えていた。タクシーの運転手も、ホテルマンも、レストランの店員も・・・。
街も大きく様変わりした。オペラ「アイーダ」で有名なヴェローナは、メイン通りに「ルイ・ヴィトン」が進出していた。イタリアの街はどこも普通の街に近づいていた。ベネチアもフィレンツェもローマも、観光客であふれかえり、有名な美術館や建物には長蛇の列が出来ている。フィレンツェのウッフィツィ美術館は、結局、あきらめざるをえなかった。
ミラノのサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会にあるダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、予約がないと見られない。事前にインターネットで予約しようと思ったが、2カ月先までびっしり。結局、高いツアーに参加して見るしか方法がなかった。一人50ユーロ(約8500円)もした。それでも超満員だった。何とか最後の一人に滑り込んだ。見学時間は15分。15分刻みに仰々しく何枚もの扉が開け閉めされ、全員が部屋から追い出されると、次のグループが入る。実にシステマチックだった。その場で気軽に見られた30年前とは大違いである。
それでも旅は楽しかった。ベネチアでは幅1メートルもない路地をさまよった。道があるとは思えないようなところにホテルの入り口があった。ベネチアンガラス工房があるムラーノ島には船で渡り、怪しげな光を放つガラス玉を買い求めた。
トスカーナ地方の紅葉は見事だった。ワインで有名なモンテプルチャーノは、小高い丘の上にあり、葡萄とオリーブの畑に囲まれていた。
ポンペイの遺跡は想像を超える大きさで、一瞬にして消えた人々の亡霊がまださまよっているようなもの悲しさがあった。
ナポリを一望できるレストランで食べた「スパゲッティ・アラ・ペスカトーレ」(魚介類のスパゲッティ)は、絶品とは言えないものの、かなりおいしかった。
カラカラ浴場があんなに巨大だとは思わなかった。冷たいお風呂と温かいお風呂だけではなく、礼拝堂、図書館、体育室も備えられている一大スパであり社交場だった。
旅の最後の日、バチカンでローマ法王に会った。11月10日は、イタリア全土から信者たちが集まる日にたまたま当たっていた。青や黄色やオレンジなどの法衣を身に付け、「アッシジ」などと書かれた旗を掲げて何千人もの人々がサン・ピエトロ広場を埋め尽くしていた。仲間に入れてもらって座っていると、長い祈りの後、ローマ法王が車に乗って人々の間を回ってきた。信者たちは興奮して立ち上がり、私はイスの上に立った。ほんの数メートル先を手を振りながらゆっくり通り過ぎていった。
各地の教会をきちんと十字を切って見学してきたご褒美だったのかもしれない。
パルマ大聖堂と私
ベネチアのリアルト橋には鈴なりの人
サン・ピエトロ広場を埋め尽くした信者たち
秋のイタリアを走ってきた。ミラノに着いた翌朝9時過ぎ、ドゥオーモ近くのインフォメーションセンターに行くと、9時から開くはずなのに人気がなかった。イタリア人は相変わらず時間にルーズだなと思っていたら、実際は朝の8時過ぎだった。その日の午前0時に夏時間が終わって、突然、冬時間に変わっていたのだ。
初めての海外旅行は30年前、やはりイタリアだった。その時は、冬時間が終わって夏時間に変わるのを経験した。ホテルのフロント係が「明日から時間が変わるよ」とニコニコしながら注意してくれた。今回は、エレベーターの中に小さな張り紙があっただけ。陽気なイタリア人は陰を潜め、不機嫌そうなイタリア人が増えていた。タクシーの運転手も、ホテルマンも、レストランの店員も・・・。
街も大きく様変わりした。オペラ「アイーダ」で有名なヴェローナは、メイン通りに「ルイ・ヴィトン」が進出していた。イタリアの街はどこも普通の街に近づいていた。ベネチアもフィレンツェもローマも、観光客であふれかえり、有名な美術館や建物には長蛇の列が出来ている。フィレンツェのウッフィツィ美術館は、結局、あきらめざるをえなかった。
ミラノのサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会にあるダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、予約がないと見られない。事前にインターネットで予約しようと思ったが、2カ月先までびっしり。結局、高いツアーに参加して見るしか方法がなかった。一人50ユーロ(約8500円)もした。それでも超満員だった。何とか最後の一人に滑り込んだ。見学時間は15分。15分刻みに仰々しく何枚もの扉が開け閉めされ、全員が部屋から追い出されると、次のグループが入る。実にシステマチックだった。その場で気軽に見られた30年前とは大違いである。
それでも旅は楽しかった。ベネチアでは幅1メートルもない路地をさまよった。道があるとは思えないようなところにホテルの入り口があった。ベネチアンガラス工房があるムラーノ島には船で渡り、怪しげな光を放つガラス玉を買い求めた。
トスカーナ地方の紅葉は見事だった。ワインで有名なモンテプルチャーノは、小高い丘の上にあり、葡萄とオリーブの畑に囲まれていた。
ポンペイの遺跡は想像を超える大きさで、一瞬にして消えた人々の亡霊がまださまよっているようなもの悲しさがあった。
ナポリを一望できるレストランで食べた「スパゲッティ・アラ・ペスカトーレ」(魚介類のスパゲッティ)は、絶品とは言えないものの、かなりおいしかった。
カラカラ浴場があんなに巨大だとは思わなかった。冷たいお風呂と温かいお風呂だけではなく、礼拝堂、図書館、体育室も備えられている一大スパであり社交場だった。
旅の最後の日、バチカンでローマ法王に会った。11月10日は、イタリア全土から信者たちが集まる日にたまたま当たっていた。青や黄色やオレンジなどの法衣を身に付け、「アッシジ」などと書かれた旗を掲げて何千人もの人々がサン・ピエトロ広場を埋め尽くしていた。仲間に入れてもらって座っていると、長い祈りの後、ローマ法王が車に乗って人々の間を回ってきた。信者たちは興奮して立ち上がり、私はイスの上に立った。ほんの数メートル先を手を振りながらゆっくり通り過ぎていった。
各地の教会をきちんと十字を切って見学してきたご褒美だったのかもしれない。
パルマ大聖堂と私
ベネチアのリアルト橋には鈴なりの人
サン・ピエトロ広場を埋め尽くした信者たち