6/15(金)
「雷・免・棄・民」
昨日、梅雨入りしたと思ったら、今日は青空が広がっている。今年の梅雨は空梅雨になりそうだ。ラニーニャ現象の影響で梅雨明けも早まるらしい。
梅雨明けの合図は雷だ。ゴロゴロピカッ、と来て暑い夏がやってくる。
「雷」(かみなり)は、実は「神鳴り」だと、漢字学者の阿辻哲次さん(京都大学大学院教授)が「東京新聞」に書いていた。神の行う行為で、田んぼの稲に落ちて、稲の穂を孕ませると古代人は信じていた。だから、「稲光」「稲妻」という言葉が生まれたのだという。
群馬県に「ゴロピカリ」という米がある。「月の光」を母に、「コシヒカリ」を父として交配して作られた品種だ。新潟から東京に戻る途中、高速道路から看板が見えた。以来、気になって気になって仕方がない。
どんな味がするのか、手に入らないかと思って、銀座にある「お米ギャラリー」を訪ねた。調べてもらったところ、そのほとんどが群馬県内で消費されており、他県には出ていない。そこで、友人の法事で群馬を訪れた際にお米屋さんに飛び込んだのだが、季節が悪かったのか、なかった。
小麦と米の二毛作をする群馬の土地に合っている品種とかで、そのお米屋さんの話では、「味ではコシヒカリに負ける」と言っていた。でも、一度味わってみたい。
ところで、「雷」の下にある「田」は「田んぼ」を指しているのではないのだという。「宇宙の気が回転するさまを描いた形」だとか。だから、「田」は本来「四角に十字」ではなく、「丸に十字」だったらしい。これは薩摩藩の紋所だ。「回転する宇宙の気」「神の稲光」「豊作」など、いろんな意味が込められていたのかもしれない。
「でんでんでん」という音は確かに「くるくる回る」感じがする。稲光は、くるくる回って落ちてきた。そういえば、「でんぐり返し」という言葉がある。ひっくり返ることだ。「でん」も「てん」も語源は同じだったかもしれない。「てん」は「転」で、「回転」「転回」に使われている。もちろん「天」にもつながる。
古代中国人の漢字作りの知恵はすばらしい。「まぬがれる」の「免」という字は、上半分が「女性のおしり」で、下は「羊水が流れる」象形文字だと読んだことがある。子どもが生まれるときの図だ。だから「分娩」の「娩」には「女偏に免」が使われている。「免許」は苦しい思いをして得るものなのだ。「勉強」にも苦しさが伴う。何しろさらに「強い」「力」が加わるわけだから。
「棄権」の「棄」の語源を知ったときには、愕然とした。上の冠は「まさに生まれ落ちた子ども」で、「♀」マークがひっくり返ったものだ。頭が下になっている。下の文字は「ちり取りを両手で持っている」象形文字だという。生まれた子を間引きする図だ。
おどろおどろしい話になったついでにもう一つ。「民主主義」の「民」は、針で目を刺している文字だという。「目」に「→」が右斜め下から刺さっている象形文字だ。
古代中国で、征服者が逆らうものにそうした。だから「眠る」や「罠」には「民」が含まれ、目が見えない状態という意味が込められている。「棄民政策」という言葉もあった。
「民主主義の世の中」といって甘受していると、いつの間にか都合のいい情報しか与えられていないことに気づく。社会保険庁がいい例だ。
昨日、梅雨入りしたと思ったら、今日は青空が広がっている。今年の梅雨は空梅雨になりそうだ。ラニーニャ現象の影響で梅雨明けも早まるらしい。
梅雨明けの合図は雷だ。ゴロゴロピカッ、と来て暑い夏がやってくる。
「雷」(かみなり)は、実は「神鳴り」だと、漢字学者の阿辻哲次さん(京都大学大学院教授)が「東京新聞」に書いていた。神の行う行為で、田んぼの稲に落ちて、稲の穂を孕ませると古代人は信じていた。だから、「稲光」「稲妻」という言葉が生まれたのだという。
群馬県に「ゴロピカリ」という米がある。「月の光」を母に、「コシヒカリ」を父として交配して作られた品種だ。新潟から東京に戻る途中、高速道路から看板が見えた。以来、気になって気になって仕方がない。
どんな味がするのか、手に入らないかと思って、銀座にある「お米ギャラリー」を訪ねた。調べてもらったところ、そのほとんどが群馬県内で消費されており、他県には出ていない。そこで、友人の法事で群馬を訪れた際にお米屋さんに飛び込んだのだが、季節が悪かったのか、なかった。
小麦と米の二毛作をする群馬の土地に合っている品種とかで、そのお米屋さんの話では、「味ではコシヒカリに負ける」と言っていた。でも、一度味わってみたい。
ところで、「雷」の下にある「田」は「田んぼ」を指しているのではないのだという。「宇宙の気が回転するさまを描いた形」だとか。だから、「田」は本来「四角に十字」ではなく、「丸に十字」だったらしい。これは薩摩藩の紋所だ。「回転する宇宙の気」「神の稲光」「豊作」など、いろんな意味が込められていたのかもしれない。
「でんでんでん」という音は確かに「くるくる回る」感じがする。稲光は、くるくる回って落ちてきた。そういえば、「でんぐり返し」という言葉がある。ひっくり返ることだ。「でん」も「てん」も語源は同じだったかもしれない。「てん」は「転」で、「回転」「転回」に使われている。もちろん「天」にもつながる。
古代中国人の漢字作りの知恵はすばらしい。「まぬがれる」の「免」という字は、上半分が「女性のおしり」で、下は「羊水が流れる」象形文字だと読んだことがある。子どもが生まれるときの図だ。だから「分娩」の「娩」には「女偏に免」が使われている。「免許」は苦しい思いをして得るものなのだ。「勉強」にも苦しさが伴う。何しろさらに「強い」「力」が加わるわけだから。
「棄権」の「棄」の語源を知ったときには、愕然とした。上の冠は「まさに生まれ落ちた子ども」で、「♀」マークがひっくり返ったものだ。頭が下になっている。下の文字は「ちり取りを両手で持っている」象形文字だという。生まれた子を間引きする図だ。
おどろおどろしい話になったついでにもう一つ。「民主主義」の「民」は、針で目を刺している文字だという。「目」に「→」が右斜め下から刺さっている象形文字だ。
古代中国で、征服者が逆らうものにそうした。だから「眠る」や「罠」には「民」が含まれ、目が見えない状態という意味が込められている。「棄民政策」という言葉もあった。
「民主主義の世の中」といって甘受していると、いつの間にか都合のいい情報しか与えられていないことに気づく。社会保険庁がいい例だ。
