4/13(金)
「リビング・ウイル」
「ここに生きている象と死んでいる象がいます。象は何頭いますか」
という有名な質問がある。反射的に「2頭」と答えてから、少し考える。「死んでいる象はもう象ではないから、1頭かな」と。
「ここに生きている象と脳死状態の象がいます。象は何頭いますか」
こうなると、また少し考える。「脳死状態の象を象と言えるか」。死を避けられない状態。手の施しようがない状態。終末期の象を象と言えるのか。
「ここに生きている象と人工呼吸器をつけた象がいます。象は何頭いますか」
人工呼吸器をつけていないと死んでしまう象を象と言えるのか、悩む。もっと複雑な状態の象もいる。
「ここに生きている象と人工呼吸器をつけ、点滴で栄養補給され、顔色のいい象がいます。象は何頭いますか」
脳死状態と言われても、見た目には顔色もよく、今にも目を開けそうな象が横たわっている。この象を象と言えるか。
象を自分が飼っているペットに置き換えてみる。今にも起き上がりそうな猫や犬を、もう「死んでいる状態」と割り切れるだろうか。
ペットをさらに自分の家族に置き換えてみる。象やペットでは割り切れても、母親や子どもや妻(夫)ではどうか。
さらに、自分に置き換えてみる。人工呼吸器をつけ、あらゆる生命維持装置を施されてベッドに横たわる自分を想像してみる。しかし、意識のない状態とはどんな状態なのか、分かるはずがない。
最近、脳疾患で突然倒れた友人を看取った。死の直前まで寝ているように横たわっていた。ツメは伸び、髪の毛も伸びていた。人工呼吸器のせいとは分かっているが、息をしているように見えた。耳が聞こえているのでないか、そばで話している会話が聞こえているのではないかと思って、わざと悪口や冗談を言ってむっくり起き上がらないかと待った。
ところで、どういう終末を迎えたいのか、あらかじめ自分の意思をはっきりさせておくことを「リビング・ウイル」というらしい。
ニューヨークで運転免許証を取得したとき、その裏側を見てドキッとしたことがある。裏には、「私は死の前に、使用可能な解剖学上のギフトをします」と書かれていたからだ。その下に「すべての内臓や器官」と「次に掲げる体の部分」のどちらかを選ぶようになっている。
そして、自分のサインと立会人のサイン、日付を書く。これは立派な「リビング・ウイル」である。脳死に陥ったときに、臓器提供をはっきり宣言しているからだ。
日本の免許証の裏には「備考」とあるだけだ。有効期間中に住所変更があった場合など、ここに書かれる。運転免許証を管理する行政機関と臓器提供に関係する行政機関が違うために、日本の免許証では、二つはドッキングできない。いわゆる縦割り行政の弊害の一つだろう。
日本では遺書のような形で書き残しておくか、日頃から家族に伝えておくしかない。もちろん、尊厳死協会に登録する方法もある。
ニューヨークの免許証は、結局、何も書かれないまま有効期限が切れた。「体の部分」には、目とか腎臓とか、心臓、肝臓などと書くのだろうか。あまりの生々しさにちょっと恐れを抱いた。「生」に執着している煩悩の塊には、「リビング・ウイル」はまだ遠い。
「ここに生きている象と死んでいる象がいます。象は何頭いますか」
という有名な質問がある。反射的に「2頭」と答えてから、少し考える。「死んでいる象はもう象ではないから、1頭かな」と。
「ここに生きている象と脳死状態の象がいます。象は何頭いますか」
こうなると、また少し考える。「脳死状態の象を象と言えるか」。死を避けられない状態。手の施しようがない状態。終末期の象を象と言えるのか。
「ここに生きている象と人工呼吸器をつけた象がいます。象は何頭いますか」
人工呼吸器をつけていないと死んでしまう象を象と言えるのか、悩む。もっと複雑な状態の象もいる。
「ここに生きている象と人工呼吸器をつけ、点滴で栄養補給され、顔色のいい象がいます。象は何頭いますか」
脳死状態と言われても、見た目には顔色もよく、今にも目を開けそうな象が横たわっている。この象を象と言えるか。
象を自分が飼っているペットに置き換えてみる。今にも起き上がりそうな猫や犬を、もう「死んでいる状態」と割り切れるだろうか。
ペットをさらに自分の家族に置き換えてみる。象やペットでは割り切れても、母親や子どもや妻(夫)ではどうか。
さらに、自分に置き換えてみる。人工呼吸器をつけ、あらゆる生命維持装置を施されてベッドに横たわる自分を想像してみる。しかし、意識のない状態とはどんな状態なのか、分かるはずがない。
最近、脳疾患で突然倒れた友人を看取った。死の直前まで寝ているように横たわっていた。ツメは伸び、髪の毛も伸びていた。人工呼吸器のせいとは分かっているが、息をしているように見えた。耳が聞こえているのでないか、そばで話している会話が聞こえているのではないかと思って、わざと悪口や冗談を言ってむっくり起き上がらないかと待った。
ところで、どういう終末を迎えたいのか、あらかじめ自分の意思をはっきりさせておくことを「リビング・ウイル」というらしい。
ニューヨークで運転免許証を取得したとき、その裏側を見てドキッとしたことがある。裏には、「私は死の前に、使用可能な解剖学上のギフトをします」と書かれていたからだ。その下に「すべての内臓や器官」と「次に掲げる体の部分」のどちらかを選ぶようになっている。
そして、自分のサインと立会人のサイン、日付を書く。これは立派な「リビング・ウイル」である。脳死に陥ったときに、臓器提供をはっきり宣言しているからだ。
日本の免許証の裏には「備考」とあるだけだ。有効期間中に住所変更があった場合など、ここに書かれる。運転免許証を管理する行政機関と臓器提供に関係する行政機関が違うために、日本の免許証では、二つはドッキングできない。いわゆる縦割り行政の弊害の一つだろう。
日本では遺書のような形で書き残しておくか、日頃から家族に伝えておくしかない。もちろん、尊厳死協会に登録する方法もある。
ニューヨークの免許証は、結局、何も書かれないまま有効期限が切れた。「体の部分」には、目とか腎臓とか、心臓、肝臓などと書くのだろうか。あまりの生々しさにちょっと恐れを抱いた。「生」に執着している煩悩の塊には、「リビング・ウイル」はまだ遠い。
