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森啓次郎エッセイ
森啓次郎エッセイ
3/2(金)
ターシャ・テューダーさんの暖炉

 絵本作家のターシャ・テューダーさんのお宅に泊めていただいたことがある。画家の安野光雅さんとアメリカ横断の旅に出た時のことだから、もう30年も前になる。

 ボストンから車で走った。かなり走ったように思う。周りは一面の紅葉だった。黄色と赤と橙の乱舞。あんなに美しい紅葉は、それまでもそれ以後も見たことがない。ニュー・イングランド地方と呼ばれている場所だと思う。どうやってターシャさんの家を見つけられたのか、今でも不思議だ。道からは家が全く見えないからだ。落ち葉が敷きつめられた道には、アメリカ式蒲鉾型の郵便ポストがポツンとあるだけだった。

 現在、90歳を超えられたというから、あの時は60歳くらいだったことになる。安野さんの本を出版するアメリカの出版社が、ターシャさんの絵本も扱っていた関係で、実現したように思う。

 焦げ茶色の木造2階建ての小屋。1階に何部屋かあり、すべての部屋に暖炉がついていたのが印象的だった。夕方に着いた。暖炉の前で、安野さんとターシャさんはお互いの絵本を見せ合った。ターシャさんの絵本に描かれていた家が、実際の家とそっくりだったのを憶えている。絵本の中の生活をターシャさんはそのまましていたことになる。

 夕食に何をご馳走になったのかよく憶えていない。ただ、山羊のミルクを飲んだ気がする。「飲める?」と聞かれたように思う。

 私の部屋は2階の屋根裏部屋だった。真っ暗だったので、そのままベッドに潜り込んだが、翌朝けたたましい鳥たちの声で起こされた。寝るときは全く気がつかなかったが、たくさんの鳥かごが天井からつるされていて、黒い布で覆われていた。

 庭にはたくさんの動物たちがいた。山羊や馬、アヒルなどがいたと思う。「この子のミルクだったのよ」と教えてくれた。

 子どもたちが近くに住んでいて、時々やってくると言っていた。家も庭も小さな牧場もみんな手作りと言っていた。

 私は暖炉に興味があった。ターシャさん手作りの暖炉は、炎が勢いよく立ち上がり、煙が煙突に吸い上げられていた。外気がドアのすき間などからつねに供給されているらしく、部屋の中は新鮮で清浄な空気で満たされていた。全く煙くない。

 当時、蓼科にペンションを建てた友人がいて、同じように暖炉を手作りしたが、煙が部屋の中に逆流して困っていたからだ。火がおこされていない一つをのぞき込んだ。暖炉は簡単に見えながら、複雑な構造をしていることがわかった。

 前からは四角い箱のように見えるが、手前上の直線は、中を覗くと傾斜がついて暖炉奧の壁の上までつながっていた。煙の吸い込み口は、手のひらがようやく入るくらいしかすき間がなかった。煙突と暖炉は直線的につながっているわけではなかった。だから、サンタクロースは煙突から入ることが出来ない。

 友人の暖炉は、四角い箱の上に煙突が付いた構造だった。しかも、煙突が途中で斜めに折れ曲がっていた。帰国後、ターシャさんの暖炉の構造を教えたところ、暖炉の手前上の壁に傾斜を付けるだけで、煙は逆流しなくなった。

 都会のマンションの一室に住んでいると、時々突然、ターシャさんの家を思い出す。
レギュラー出演者
森 啓次郎
森 啓次郎
「Asahiパソコン」「ぱそ」「週刊朝日」編集長を経て、現在、大学講師(メディア論)。