11/2(木)
「似た者同士と危険な曲がり角」
児童相談所長と校長の姿が重なっている。
幼児の虐待死が起きるたびに「把握していませんでした」と述べ、近隣住民が過去に通報している事実を突きつけられると、「親に連絡を取ったが、問題はないと認識していた」と逃げを打つ児童相談所長。
いじめによる児童の自殺が起きると、「いじめの事実は確認していませんでした」と述べ、親が学校に相談していた事実が明らかになると、「いじめと自殺の因果関係は明らかではない」と逃げる校長。
教育委員会の教育長もよく似ている。似ているのは当たり前で、校長の多くが、その後、教育長になるからだ。
これらの人々は、目の向き方が違う。本来は、「家庭や教育現場」を見ていなければならないのに、上を向いたり横を向いたりしている。さらなる出世を考えたり、このまま何も起こらず、老後の生活が安定していればいいなどと考えたりしているようにも見える。
住民に関わる職種の長は、住民自らが直接選ぶべきだ。公選制である。選ばれた人は、選んでくれた人の方に顔が向くからだ。国会議員が、かろうじて地元のために仕事を全うしようとしているのは、次の選挙で選ばれないかもしれないという恐怖感があるからだ。
ところで、必修科目の未履修問題は、時間短縮で決着するという。本当は、親と生徒は怒らなくてはならない。勉強を受ける権利が奪われるからだ。
教育基本法には「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とあり、続いて「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と書かれている。あくまでも、国は国民に対して支配を押しつけてはいけないし、教育の主体は国民にあることが明記されている。
「週5日制」の押しつけも、その結果、教育現場でカリキュラムのやりくりに窮して必修科目を外したのも、自分の将来のために学問をしたかった学生にとっては、「ノー」と主張する権利があった。未履修問題が発覚したきっかけが、履修していないのに履修したことになっていたことに気づいた学生が、それを指摘したことから始まったのはせめてもの救いだった。
教育基本法の前文には「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない」とある。先生たちが法の精神を理解していれば、「いじめ」もまた防げたはずだ。
それをあたかも、様々な不祥事が「教育基本法がなっていないから改定する」としているのは完全なすり替えだ。高い理想を掲げた法に、現実がまだ追いついていないのが、むしろ真実に近いのではないかと思う。
戦前の軍国主義教育に二度と陥らないために作り上げられたわずか11条の憲法「教育基本法」。今国会で改定される可能性が高いという。
危険な曲がり角にいる。
児童相談所長と校長の姿が重なっている。
幼児の虐待死が起きるたびに「把握していませんでした」と述べ、近隣住民が過去に通報している事実を突きつけられると、「親に連絡を取ったが、問題はないと認識していた」と逃げを打つ児童相談所長。
いじめによる児童の自殺が起きると、「いじめの事実は確認していませんでした」と述べ、親が学校に相談していた事実が明らかになると、「いじめと自殺の因果関係は明らかではない」と逃げる校長。
教育委員会の教育長もよく似ている。似ているのは当たり前で、校長の多くが、その後、教育長になるからだ。
これらの人々は、目の向き方が違う。本来は、「家庭や教育現場」を見ていなければならないのに、上を向いたり横を向いたりしている。さらなる出世を考えたり、このまま何も起こらず、老後の生活が安定していればいいなどと考えたりしているようにも見える。
住民に関わる職種の長は、住民自らが直接選ぶべきだ。公選制である。選ばれた人は、選んでくれた人の方に顔が向くからだ。国会議員が、かろうじて地元のために仕事を全うしようとしているのは、次の選挙で選ばれないかもしれないという恐怖感があるからだ。
ところで、必修科目の未履修問題は、時間短縮で決着するという。本当は、親と生徒は怒らなくてはならない。勉強を受ける権利が奪われるからだ。
教育基本法には「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とあり、続いて「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と書かれている。あくまでも、国は国民に対して支配を押しつけてはいけないし、教育の主体は国民にあることが明記されている。
「週5日制」の押しつけも、その結果、教育現場でカリキュラムのやりくりに窮して必修科目を外したのも、自分の将来のために学問をしたかった学生にとっては、「ノー」と主張する権利があった。未履修問題が発覚したきっかけが、履修していないのに履修したことになっていたことに気づいた学生が、それを指摘したことから始まったのはせめてもの救いだった。
教育基本法の前文には「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない」とある。先生たちが法の精神を理解していれば、「いじめ」もまた防げたはずだ。
それをあたかも、様々な不祥事が「教育基本法がなっていないから改定する」としているのは完全なすり替えだ。高い理想を掲げた法に、現実がまだ追いついていないのが、むしろ真実に近いのではないかと思う。
戦前の軍国主義教育に二度と陥らないために作り上げられたわずか11条の憲法「教育基本法」。今国会で改定される可能性が高いという。
危険な曲がり角にいる。
