
No.53 ドイツと英国に学ぶ「後期高齢者医療制度」の抜本的改善策
「後期高齢者医療制度」への激しい批判をかわすべく、政府・与党は見直し作業に入った。
だが、低所得者の保険料の負担軽減策が中心であり、根源的な欠陥には手をつけそうもない。
4月16日の当コラム「後期高齢者医療制度が“現代の姥捨て山”と批判される本当の理由」には、大きな反響があった。寄せられた多くの感想には、「「この新制度は保険ではない」ことを知って驚いた」と書かれていた。
詳しい解説はそちらを呼んでいただきたいが、要点だけ記しておこう。
1. この新制度に関するどの法律を見ても、保険であるという表現は一切出てこない。「後期高齢者医 療制度」は、その表記とおり『制度』であって『保険』ではない。
2. 保険であれば、運営責任者である「保険者」が存在する。国民健康保険や介護保険は、市町村が 保険者である。保険者はその保険の財政責任を負わなければならない。逆に言えば、保険者がいな ければ、その運営主体は財政責任を負わない。財政責任を負わなければ、医療費抑制に努力するイ ンセンテイブなど働かない。
3. 保険者不在の欠陥制度になったのは、厚生労働省の強い要請にも関わらず、財政責任など負いた くない市町村が保険者になるのを嫌がったからである。
4. 財政責任を負わず、保険料は年金からの天引きだから、保険料徴収の苦労もなく、コストもかから ない。したがって、保険料抑制のインセンテイブは二重に働かない。運営主体が「広域連合」という “架空の地方自治体”であることを加味すれば、三重の無責任体制といってもいい。
ここで、保険者がいないことによって制度設計が歪んでしまった事例を、もうひとつ挙げよう。
当たり前のことだが、医療費総額は、診療報酬(価格)×回数という掛け算である。医療費の抑制は、保険者である市町村が地域ぐるみで健康維持管理活動を展開し、治療だけでなく予防の観点にも重きを置き、診療回数を少なくするのが正道であろう。
だが、保険者ではない広域連合では回数を減らそうというインセンテイブは働かない。その欠陥を補うためであろう、厚生労働書は診療報酬という価格に手をつけた。実は、この新制度の開始と同時に、75歳以上の人びとには「定額制」というまったく別個の診療報酬体系が導入されたのである。
後期高齢者は「高齢者担当医」と呼ばれる、かかりつけ医を決める。このかかりつけ医には、高齢者一人当たり月6000円の診療報酬が支払われる(本人負担は600円)。高齢者ともなれば慢性的な病気を抱え、検査、指導を日常的に受けなければならない。そうして膨れ上がる診療報酬を、「定額制」にして押さえ込もうというのである。
しかし、携帯電話の定額制ではあるまいし、何回診療を受けても6000円でお得だ、などという制度になるはずもない。医者は自己負担が膨らむのを承知で必要な診療を行うか、あるいは診療回数を強引に減らしてしまうかのどちらかになる。前者なら医者はいずれ反乱を起こすだろうし(すでに反対意見が噴出している)、後者であれば、それは年寄りいじめであり、姥捨て山の揶揄にふさわしい。
ちなみに、この6000円という診療報酬は中医協で今年の2月に決定した。2006年に法案が成立してから二年近く、新制度開始わずか2ヶ月前のぎりぎりに決まったのである。
新制度について、あまりに説明不足だという批判が耐えない。当然であろう。このように重要な運営細目が、施行直前にどたばたと決まっているのである。この点において、政府・与党の責任は重い。法案の意味するところを理解せずに強行採決し、その運営の重要ポイントは官僚に丸投げ、放置していたのである。堀内光雄・自民党元総務会長は、新制度を激しく批判しているが、その資格はまったくない。
お分かりいただけただろうか。この保険者がいない欠陥制度の見直しは、運営主体を規定しなおすと同時に、財政責任を明確化する措置に焦点が当てられなければならないのである。
大きく分けると、その方法は二つある。「突き抜け方式」と「全額税方式」である。
問題を整理しよう。サラリーマンは現役時代、会社の健康保険組合や政府管掌健康保険に加入している。定年退職して収入が減り、一方医療費がかさむようになってから、市町村が運営する国民健康保険(自営業の人びとはもともとここに加入している)に移る。その高齢者の医療費負担の重さが、問題の根源にある。
この3月までは、老人保健制度という高齢者の医療費を賄う共同事業があった。各種健保がおカネを出し合って支えてきた。それを後期高齢者だけをくくりだしたのである。ちなみに、新制度の負担は税金が5割、各種健保つまり現役世代からの支援金が4割、後期高齢者の保険料は1割である。
「突き抜け方式」というのは、簡単に言えば、サラリーマン生活が長かった退職者は、かつて加入していた健保から離脱せず、現役サラリーマンが面倒を見る制度だ。産業単位、あるいは地域単位に応用しても考えられる。それらを単位とする健保が、財政責任を負う保険者である。高齢者だけをくくりださない、皆保険の発想であり、ドイツがこの方式を採用している。
もひとつは、その医療費全額を税金で賄う方式で、英国型である。英国の場合、正確には若干保険料が入っているのだが、全額税方式と呼んでもかまわないほどわずかである。この場合、保険ではないから保険者はいないが、税金を投入するのだから運営責任者は国である。英国の場合は国民全員が対象だが、高齢者をくくりだして全額税方式にする選択肢もある。
ともに運営主体と責任は明確になる。前者は全額保険料、後者は税金であり、保険料と税金が混合することで制度が複雑になり、それゆえ受益と負担の関係が不透明になり、医療費(受益)を抑制すれば保険料や税金(負担)が軽減されるというインセンテイブが働きにくい、という欠陥は解消される。
どちらが日本になじむのか、デメリットが小さいか、あるいは第三の方法があるのか、いずれにしろ、メスを入れるべき欠陥は明らかなのである。
民主党は新制度の廃止法案を国会に提出する。だが、それだけでは何の意味もない。「突き抜け方式」か「全額税方式」か、独自案をもって政府・与党を追い込んでこそ、国民の支持を得られるであろう。
(敬称略、辻広雅文、『週刊ダイヤモンド』掲載)
だが、低所得者の保険料の負担軽減策が中心であり、根源的な欠陥には手をつけそうもない。
4月16日の当コラム「後期高齢者医療制度が“現代の姥捨て山”と批判される本当の理由」には、大きな反響があった。寄せられた多くの感想には、「「この新制度は保険ではない」ことを知って驚いた」と書かれていた。
詳しい解説はそちらを呼んでいただきたいが、要点だけ記しておこう。
1. この新制度に関するどの法律を見ても、保険であるという表現は一切出てこない。「後期高齢者医 療制度」は、その表記とおり『制度』であって『保険』ではない。
2. 保険であれば、運営責任者である「保険者」が存在する。国民健康保険や介護保険は、市町村が 保険者である。保険者はその保険の財政責任を負わなければならない。逆に言えば、保険者がいな ければ、その運営主体は財政責任を負わない。財政責任を負わなければ、医療費抑制に努力するイ ンセンテイブなど働かない。
3. 保険者不在の欠陥制度になったのは、厚生労働省の強い要請にも関わらず、財政責任など負いた くない市町村が保険者になるのを嫌がったからである。
4. 財政責任を負わず、保険料は年金からの天引きだから、保険料徴収の苦労もなく、コストもかから ない。したがって、保険料抑制のインセンテイブは二重に働かない。運営主体が「広域連合」という “架空の地方自治体”であることを加味すれば、三重の無責任体制といってもいい。
ここで、保険者がいないことによって制度設計が歪んでしまった事例を、もうひとつ挙げよう。
当たり前のことだが、医療費総額は、診療報酬(価格)×回数という掛け算である。医療費の抑制は、保険者である市町村が地域ぐるみで健康維持管理活動を展開し、治療だけでなく予防の観点にも重きを置き、診療回数を少なくするのが正道であろう。
だが、保険者ではない広域連合では回数を減らそうというインセンテイブは働かない。その欠陥を補うためであろう、厚生労働書は診療報酬という価格に手をつけた。実は、この新制度の開始と同時に、75歳以上の人びとには「定額制」というまったく別個の診療報酬体系が導入されたのである。
後期高齢者は「高齢者担当医」と呼ばれる、かかりつけ医を決める。このかかりつけ医には、高齢者一人当たり月6000円の診療報酬が支払われる(本人負担は600円)。高齢者ともなれば慢性的な病気を抱え、検査、指導を日常的に受けなければならない。そうして膨れ上がる診療報酬を、「定額制」にして押さえ込もうというのである。
しかし、携帯電話の定額制ではあるまいし、何回診療を受けても6000円でお得だ、などという制度になるはずもない。医者は自己負担が膨らむのを承知で必要な診療を行うか、あるいは診療回数を強引に減らしてしまうかのどちらかになる。前者なら医者はいずれ反乱を起こすだろうし(すでに反対意見が噴出している)、後者であれば、それは年寄りいじめであり、姥捨て山の揶揄にふさわしい。
ちなみに、この6000円という診療報酬は中医協で今年の2月に決定した。2006年に法案が成立してから二年近く、新制度開始わずか2ヶ月前のぎりぎりに決まったのである。
新制度について、あまりに説明不足だという批判が耐えない。当然であろう。このように重要な運営細目が、施行直前にどたばたと決まっているのである。この点において、政府・与党の責任は重い。法案の意味するところを理解せずに強行採決し、その運営の重要ポイントは官僚に丸投げ、放置していたのである。堀内光雄・自民党元総務会長は、新制度を激しく批判しているが、その資格はまったくない。
お分かりいただけただろうか。この保険者がいない欠陥制度の見直しは、運営主体を規定しなおすと同時に、財政責任を明確化する措置に焦点が当てられなければならないのである。
大きく分けると、その方法は二つある。「突き抜け方式」と「全額税方式」である。
問題を整理しよう。サラリーマンは現役時代、会社の健康保険組合や政府管掌健康保険に加入している。定年退職して収入が減り、一方医療費がかさむようになってから、市町村が運営する国民健康保険(自営業の人びとはもともとここに加入している)に移る。その高齢者の医療費負担の重さが、問題の根源にある。
この3月までは、老人保健制度という高齢者の医療費を賄う共同事業があった。各種健保がおカネを出し合って支えてきた。それを後期高齢者だけをくくりだしたのである。ちなみに、新制度の負担は税金が5割、各種健保つまり現役世代からの支援金が4割、後期高齢者の保険料は1割である。
「突き抜け方式」というのは、簡単に言えば、サラリーマン生活が長かった退職者は、かつて加入していた健保から離脱せず、現役サラリーマンが面倒を見る制度だ。産業単位、あるいは地域単位に応用しても考えられる。それらを単位とする健保が、財政責任を負う保険者である。高齢者だけをくくりださない、皆保険の発想であり、ドイツがこの方式を採用している。
もひとつは、その医療費全額を税金で賄う方式で、英国型である。英国の場合、正確には若干保険料が入っているのだが、全額税方式と呼んでもかまわないほどわずかである。この場合、保険ではないから保険者はいないが、税金を投入するのだから運営責任者は国である。英国の場合は国民全員が対象だが、高齢者をくくりだして全額税方式にする選択肢もある。
ともに運営主体と責任は明確になる。前者は全額保険料、後者は税金であり、保険料と税金が混合することで制度が複雑になり、それゆえ受益と負担の関係が不透明になり、医療費(受益)を抑制すれば保険料や税金(負担)が軽減されるというインセンテイブが働きにくい、という欠陥は解消される。
どちらが日本になじむのか、デメリットが小さいか、あるいは第三の方法があるのか、いずれにしろ、メスを入れるべき欠陥は明らかなのである。
民主党は新制度の廃止法案を国会に提出する。だが、それだけでは何の意味もない。「突き抜け方式」か「全額税方式」か、独自案をもって政府・与党を追い込んでこそ、国民の支持を得られるであろう。
(敬称略、辻広雅文、『週刊ダイヤモンド』掲載)

