
No.43 再度問う。正社員のクビを切りやすくする改革はタブーなのか
「新しい労働のルール」の決定と運用は、今後、労使の対話に委ねられる方向に向かうだろう。国が法律でがんじがらめに縛る時代は、もはや過ぎ去った。
前々回の当コラムで、「正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか」と題する一文を掲載したら、轟々たる批判、非難が寄せられた。それにお答えする前に、そのコラムの論旨をまとめておこう。
1.私は、今最優先で取り組むべき改革は、労働市場改革である、と思う。なかでも、「正社員と非正社員の処遇格差の解決」が最も必要に迫られている、と考えている。
2.理由は二つある。第一に、正社員と非正社員は同じ仕事をしているにも関わらず、片方にしか昇給昇進の道は開かれていない。はなはだしく社会的「公正」を欠くと同時に、非正社員は非常に不安定な生活を強いられている。こうした状況を放置すれば、ワーキングプアたちの生活の荒廃から社会の劣化が進むだろう。
3.第二に、この正社員と非正社員の処遇格差問題は、日本社会に発生したさまざまな格差問題のなかで、最も深刻かつ象徴的問題だ。その解決方法が示されないからこそ、多くの人々は小泉政権以降の経済的自由主義、市場競争経済に向かう改革の続行を支持しない。逆に言えば、解決の道筋が示されれば、他の改革も動き出す。だからこそ、最優先課題なのである。
4.では、どうするか。正社員を抱えたままで、非正社員の正社員化を進められるほど体力のある企業はまれである。経営者に非正社員の社員化の実行を促すなら、正社員と非正社員を入れ替えることができる仕組みが必要だろう。それには、正社員の整理解雇をしやすくする必要がある。
5.日本では正社員の整理解雇は、ほぼ不可能だ。社員保護の判例が最高裁判決まで積み重なり、いわゆる「整理解雇の四条件」が厳格基準となり、ありていに言えば、倒産寸前に追い詰められなければ、解雇など許されない。であれば、労働法制を大転換し、「正社員の整理解雇を容易にする改革」が不可欠となろう。
以上が、論旨である。「正社員のクビを切りやすく」という刺激的な文言のせいか、反響は絶大で、「経営者の手先」、「正社員と非正社員の分断を図る意図は何か」、「自分は決してクビにならないという傲慢の表れだ」などと、非難が殺到した。甘んじてお受けしよう。私がここで答えなければならない疑問、批判は、集約すると3つある。
第一は、正社員と非正社員が入れ替わるだけだから、非正社員として苦労する人が減るわけではないのではないか、という疑問である。
正社員と非正社員の入れ替えが進むことのメリットは、いくつもある。労働市場の流動化を促し、人材の適材適所、最適配分が進み、その結果、会社や社会全体の生産性が高まり、経済成長につながる。再挑戦の機会も多くなり、希望を失わない、チャレンジ意欲高い社会に変貌させることができる。
第二は、正社員の雇用を維持して、なおかつ非正社員の待遇改善、正社員化を企業に求めるべきだ、という意見である。
それは、ないものねだりである。企業に弱者救済の圧力をかけ続けたら、経営者はコスト増を恐れて、海外に拠点を移してしまいかねない。
正社員であれ非正社員であれ、同一労働同一賃金という原則を貫く労働市場を実現するためには規制改革が必要である。その改革の矢は、非正社員を実態的には搾取している既得権者の正社員に向かわざるを得ない。
第三は、正社員の整理解雇を容易にしたら、経営者のやり放題になって、非正社員ばかりが増えるのではないか、という不安である。
その危険は、確かにある。実際、労働法制を自由化したままメンテナンスをしなかった80年代、90年代の米国では、経営者が足元の業績を重視し、近視眼的なレイオフが頻発する一方で、いっこうに生産性が上がらないという二重苦に見舞われた。ただし、その米国でも反省を生かして、新しい労働ルール作りが始まっている。
さて、前置きが長すぎた。ここからが、本論である。現実には、どんな改革を進めればいいのだろうか。
実は、すでに欧米諸国は、労働法制の改革に動き出している。いずれの国でも、労働ルールは長い時代、国が決めてきた。大量生産大量消費時代には、社会や企業が守るべき価値が単一だから、政府が作る画一的な規定を労使みんなで守ればよかったからだ。だが、世界中で価値観の多様化の波が起こり、九〇年代のグローバリゼーション、IT革命で大波となり、また、雇用環境が激変した。第三の産業革命にも例えられる変化に対応すべく、「新しい労働のルール」を模索せざるをえなくなったのだ。
各国がたどり着いたのは、「国の法的規制ではなく、労使の対話に委ねようという考え方」だと、労働法が専門の水町勇一郎・東京大学社会科学研究所准教授は言う。価値観が多様化、多元化し、なおかつ、産業別あるいは企業ごとに、経営事情、労働状況がそれぞれに異なるようになった今、国が法律で金太郎飴的に縛ってももはやうまくいかない。それなら、欧州ではソーシャルダイヤログ、米国では構造的アプローチと呼ぶ、労使の対話、集団的コミュニケーションによって、個別に労働ルールを決めたほうがいい。労働法制は、その対話を促進するような内容に変えていくべきだ――そういう考え方に変化してきているのだという。
少し理屈っぽい説明を加えよう。これまで、労働の現場では、「公正」と「効率」は相反するものと考えられてきた。例えば、社員に関わるさまざまな差別を排し、雇用や賃金の「公正」を貫けばコストが増大し、「効率」が落ちるとされてきた。しかし、欧米での考え方の変化の底流には、「公正」であることは社員のモチベーションを上げ、仕事の「効率」が上がり、生産性は上昇する、という新しい捉え方がある。その「公正」と「効率」のよい循環を起こすには、労使が対話を重ね、自分たちに必要な労働のルール、運用方法などすべてを決めたほうがいい、ということなのだ。
水町・東大准教授によれば、日本はこうした欧米の動きに追いついていない。従来の発想、法制度の枠組みを変えずに、微調整ですませようとしている。労働法制全体のバランスは異様なほど悪くなっている。その象徴が、正社員と非正社員の処遇格差なのである。
だが、労使が対話によって、労働ルールの細目と運用を決める、といっても、多くの人にとってイメージは湧きにくいだろう。また、それが日本の労働法制の再構築にどうつながるのだろうか。
実は、現在でも、労使の対話に委ねられているケースはある。労働基準法では、週四〇時間一日八時間を超えて働かせてはならない。だが、労使が合意し、監督署に届ければ残業、休日出勤が可能になる。いわゆる、三六(サブロク)協定である。こういう裁量を労働法制の根幹に置き、あらゆるルール、雇用や賃金までに広げ、適用していくのである。国は基本ルールだけを決め、細則、運用は労使の集団対話に委ねる。そして、その運用が公正に実行されたか否か裁判所が事後チェックを行う。
例えば、国は、「合理的理由がない限り、処遇差別をしてはならない」という平等原則だけを掲げる。労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、業務請負に至るすべての雇用者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与する。
その集団対話のなかで、あまりに強い正社員の法的保護、既得権が浮かび上がり、どうにかして派遣や業務請負との差別的格差を解消して、同一労働同一賃金などの「公正」を実現しようとするプログラムが組み立てられていく。例えば、あくまで正社員の雇用を維持し、非正社員を不況時の人員調整弁に使おうとするなら、正社員の雇用条件を下げ、一方、不安定な立場の非正社員には優遇措置を行う、といった工夫はできるだろう。
さらに踏み込んで、正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなるという改革もありえる。正社員の雇用調整が不可能であるのは、裁判所が判例を積み重ねて、いわゆる「整理解雇の四要件」を越えられぬ壁としたからだ。つまり、国が決めている。それでは、時代環境にも個別事情にも付いていけない。労使が考え抜いて、ルール、運用を工夫し、納得したら、柔軟な雇用調整を許容すればいい。
むろん、難問は山積である。経営者のモラルハザードを防ぐ措置も必要であろうし、何より、中小企業の大半は労働組合すらない。集団的対話を一から学ばねばならないし、それを助ける第三者機関がインフラとして必要だろう。だが、水町・東大准教授は言う。「自分たちで決める、という方向に向かっている大きな流れは決して変わらない」
欧米の先進的な考え方、事例を日本にどう持ち込むべきか――水町・東大准教授は、各国の労働法制改革を熟知する若手法学者、経済学者を集め、トヨタ自動車や経団連の業幹部も交え、研究を進めている。研究委託したのは連合である。正社員の権利だけを保護する組合の連合では早晩もたなくなる、という危機感があるのだろう。一方で、経済産業省も同様の研究組織を省内に置き、提言をまとめる方針だ。
新しい労働ルールの模索が、守旧の最たる二つの組織から始まっている(辻広雅文、『週刊ダイヤモンド』掲載)。
前々回の当コラムで、「正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか」と題する一文を掲載したら、轟々たる批判、非難が寄せられた。それにお答えする前に、そのコラムの論旨をまとめておこう。
1.私は、今最優先で取り組むべき改革は、労働市場改革である、と思う。なかでも、「正社員と非正社員の処遇格差の解決」が最も必要に迫られている、と考えている。
2.理由は二つある。第一に、正社員と非正社員は同じ仕事をしているにも関わらず、片方にしか昇給昇進の道は開かれていない。はなはだしく社会的「公正」を欠くと同時に、非正社員は非常に不安定な生活を強いられている。こうした状況を放置すれば、ワーキングプアたちの生活の荒廃から社会の劣化が進むだろう。
3.第二に、この正社員と非正社員の処遇格差問題は、日本社会に発生したさまざまな格差問題のなかで、最も深刻かつ象徴的問題だ。その解決方法が示されないからこそ、多くの人々は小泉政権以降の経済的自由主義、市場競争経済に向かう改革の続行を支持しない。逆に言えば、解決の道筋が示されれば、他の改革も動き出す。だからこそ、最優先課題なのである。
4.では、どうするか。正社員を抱えたままで、非正社員の正社員化を進められるほど体力のある企業はまれである。経営者に非正社員の社員化の実行を促すなら、正社員と非正社員を入れ替えることができる仕組みが必要だろう。それには、正社員の整理解雇をしやすくする必要がある。
5.日本では正社員の整理解雇は、ほぼ不可能だ。社員保護の判例が最高裁判決まで積み重なり、いわゆる「整理解雇の四条件」が厳格基準となり、ありていに言えば、倒産寸前に追い詰められなければ、解雇など許されない。であれば、労働法制を大転換し、「正社員の整理解雇を容易にする改革」が不可欠となろう。
以上が、論旨である。「正社員のクビを切りやすく」という刺激的な文言のせいか、反響は絶大で、「経営者の手先」、「正社員と非正社員の分断を図る意図は何か」、「自分は決してクビにならないという傲慢の表れだ」などと、非難が殺到した。甘んじてお受けしよう。私がここで答えなければならない疑問、批判は、集約すると3つある。
第一は、正社員と非正社員が入れ替わるだけだから、非正社員として苦労する人が減るわけではないのではないか、という疑問である。
正社員と非正社員の入れ替えが進むことのメリットは、いくつもある。労働市場の流動化を促し、人材の適材適所、最適配分が進み、その結果、会社や社会全体の生産性が高まり、経済成長につながる。再挑戦の機会も多くなり、希望を失わない、チャレンジ意欲高い社会に変貌させることができる。
第二は、正社員の雇用を維持して、なおかつ非正社員の待遇改善、正社員化を企業に求めるべきだ、という意見である。
それは、ないものねだりである。企業に弱者救済の圧力をかけ続けたら、経営者はコスト増を恐れて、海外に拠点を移してしまいかねない。
正社員であれ非正社員であれ、同一労働同一賃金という原則を貫く労働市場を実現するためには規制改革が必要である。その改革の矢は、非正社員を実態的には搾取している既得権者の正社員に向かわざるを得ない。
第三は、正社員の整理解雇を容易にしたら、経営者のやり放題になって、非正社員ばかりが増えるのではないか、という不安である。
その危険は、確かにある。実際、労働法制を自由化したままメンテナンスをしなかった80年代、90年代の米国では、経営者が足元の業績を重視し、近視眼的なレイオフが頻発する一方で、いっこうに生産性が上がらないという二重苦に見舞われた。ただし、その米国でも反省を生かして、新しい労働ルール作りが始まっている。
さて、前置きが長すぎた。ここからが、本論である。現実には、どんな改革を進めればいいのだろうか。
実は、すでに欧米諸国は、労働法制の改革に動き出している。いずれの国でも、労働ルールは長い時代、国が決めてきた。大量生産大量消費時代には、社会や企業が守るべき価値が単一だから、政府が作る画一的な規定を労使みんなで守ればよかったからだ。だが、世界中で価値観の多様化の波が起こり、九〇年代のグローバリゼーション、IT革命で大波となり、また、雇用環境が激変した。第三の産業革命にも例えられる変化に対応すべく、「新しい労働のルール」を模索せざるをえなくなったのだ。
各国がたどり着いたのは、「国の法的規制ではなく、労使の対話に委ねようという考え方」だと、労働法が専門の水町勇一郎・東京大学社会科学研究所准教授は言う。価値観が多様化、多元化し、なおかつ、産業別あるいは企業ごとに、経営事情、労働状況がそれぞれに異なるようになった今、国が法律で金太郎飴的に縛ってももはやうまくいかない。それなら、欧州ではソーシャルダイヤログ、米国では構造的アプローチと呼ぶ、労使の対話、集団的コミュニケーションによって、個別に労働ルールを決めたほうがいい。労働法制は、その対話を促進するような内容に変えていくべきだ――そういう考え方に変化してきているのだという。
少し理屈っぽい説明を加えよう。これまで、労働の現場では、「公正」と「効率」は相反するものと考えられてきた。例えば、社員に関わるさまざまな差別を排し、雇用や賃金の「公正」を貫けばコストが増大し、「効率」が落ちるとされてきた。しかし、欧米での考え方の変化の底流には、「公正」であることは社員のモチベーションを上げ、仕事の「効率」が上がり、生産性は上昇する、という新しい捉え方がある。その「公正」と「効率」のよい循環を起こすには、労使が対話を重ね、自分たちに必要な労働のルール、運用方法などすべてを決めたほうがいい、ということなのだ。
水町・東大准教授によれば、日本はこうした欧米の動きに追いついていない。従来の発想、法制度の枠組みを変えずに、微調整ですませようとしている。労働法制全体のバランスは異様なほど悪くなっている。その象徴が、正社員と非正社員の処遇格差なのである。
だが、労使が対話によって、労働ルールの細目と運用を決める、といっても、多くの人にとってイメージは湧きにくいだろう。また、それが日本の労働法制の再構築にどうつながるのだろうか。
実は、現在でも、労使の対話に委ねられているケースはある。労働基準法では、週四〇時間一日八時間を超えて働かせてはならない。だが、労使が合意し、監督署に届ければ残業、休日出勤が可能になる。いわゆる、三六(サブロク)協定である。こういう裁量を労働法制の根幹に置き、あらゆるルール、雇用や賃金までに広げ、適用していくのである。国は基本ルールだけを決め、細則、運用は労使の集団対話に委ねる。そして、その運用が公正に実行されたか否か裁判所が事後チェックを行う。
例えば、国は、「合理的理由がない限り、処遇差別をしてはならない」という平等原則だけを掲げる。労使対話には、正社員だけでなく非正社員、派遣、業務請負に至るすべての雇用者が参加し、平等とは何かを徹底的に議論し、ルールを作成し、運用に関与する。
その集団対話のなかで、あまりに強い正社員の法的保護、既得権が浮かび上がり、どうにかして派遣や業務請負との差別的格差を解消して、同一労働同一賃金などの「公正」を実現しようとするプログラムが組み立てられていく。例えば、あくまで正社員の雇用を維持し、非正社員を不況時の人員調整弁に使おうとするなら、正社員の雇用条件を下げ、一方、不安定な立場の非正社員には優遇措置を行う、といった工夫はできるだろう。
さらに踏み込んで、正社員の雇用調整が容易になり、逆に、非正社員が正社員になりやすくなるという改革もありえる。正社員の雇用調整が不可能であるのは、裁判所が判例を積み重ねて、いわゆる「整理解雇の四要件」を越えられぬ壁としたからだ。つまり、国が決めている。それでは、時代環境にも個別事情にも付いていけない。労使が考え抜いて、ルール、運用を工夫し、納得したら、柔軟な雇用調整を許容すればいい。
むろん、難問は山積である。経営者のモラルハザードを防ぐ措置も必要であろうし、何より、中小企業の大半は労働組合すらない。集団的対話を一から学ばねばならないし、それを助ける第三者機関がインフラとして必要だろう。だが、水町・東大准教授は言う。「自分たちで決める、という方向に向かっている大きな流れは決して変わらない」
欧米の先進的な考え方、事例を日本にどう持ち込むべきか――水町・東大准教授は、各国の労働法制改革を熟知する若手法学者、経済学者を集め、トヨタ自動車や経団連の業幹部も交え、研究を進めている。研究委託したのは連合である。正社員の権利だけを保護する組合の連合では早晩もたなくなる、という危機感があるのだろう。一方で、経済産業省も同様の研究組織を省内に置き、提言をまとめる方針だ。
新しい労働ルールの模索が、守旧の最たる二つの組織から始まっている(辻広雅文、『週刊ダイヤモンド』掲載)。

