
火曜日キャスター上杉隆さんから
松野頼三氏をしのぶ
5月9日、その老人は、東京・白金台の自宅で、夕食を終えて立ち上がろうとした矢先、倒れたという。
すぐに、近くのせんぽ東京高輪病院に運ばれた。
だが、その心臓が、再び鼓動を刻むことはなかった――。
ちょうど2週間前、その老人、松野頼三さんは、矍鑠として私の前に座っていた。
『ニュースの深層』の放送中、ずっと澱みなく会話を紡ぎ出し、その滑舌は若い私のそれよりもずっとよかった。
「小泉さんとは、一度も連絡を取ったことがない」
放送中、松野さんは平然と言い放ち、小泉首相との接触を言下に否定した。
だが、相好を崩しながら、こうも続ける。
「小泉首相は、必ず歴史に名を残す。『命を惜しまず』。就任前、私は小泉さんにはそう言った。一内閣でひとつの仕事をやり遂げればいいんだ。それで、小泉さんは五年かかって郵政民営化をやり遂げた」
そのあたりの話を、もっと聞きたい。
だが、それ以上、松野さんが小泉首相の話題に触れることはなかった。
16日、青山葬儀所での告別式で、小泉首相は涙を拭いながら、こう弔辞を読んだ。
「人生の酸いも甘いもかみ分けた含蓄ある話を聞けなくなったことは寂しくてならない。わたしにとって、政治の裏表を知り尽くしたお師匠様だ。政局の節目節目で、的確な助言を与えていただき、余人をもって替え難い政治の指南役だった」
青山葬儀所の祭壇の上で、微笑むその遺影を眺めても、まだ実感が湧かない。
なにしろ、先日会ったばかりなのだ。
焼香した後、ふと、棺の脇に目をやる。
そこには、松野さんの長年愛用していたフェルト帽が飾られていた。
享年89歳、合掌。
(2006.5.18.)
5月9日、その老人は、東京・白金台の自宅で、夕食を終えて立ち上がろうとした矢先、倒れたという。
すぐに、近くのせんぽ東京高輪病院に運ばれた。
だが、その心臓が、再び鼓動を刻むことはなかった――。
ちょうど2週間前、その老人、松野頼三さんは、矍鑠として私の前に座っていた。
『ニュースの深層』の放送中、ずっと澱みなく会話を紡ぎ出し、その滑舌は若い私のそれよりもずっとよかった。
「小泉さんとは、一度も連絡を取ったことがない」
放送中、松野さんは平然と言い放ち、小泉首相との接触を言下に否定した。
だが、相好を崩しながら、こうも続ける。
「小泉首相は、必ず歴史に名を残す。『命を惜しまず』。就任前、私は小泉さんにはそう言った。一内閣でひとつの仕事をやり遂げればいいんだ。それで、小泉さんは五年かかって郵政民営化をやり遂げた」
そのあたりの話を、もっと聞きたい。
だが、それ以上、松野さんが小泉首相の話題に触れることはなかった。
16日、青山葬儀所での告別式で、小泉首相は涙を拭いながら、こう弔辞を読んだ。
「人生の酸いも甘いもかみ分けた含蓄ある話を聞けなくなったことは寂しくてならない。わたしにとって、政治の裏表を知り尽くしたお師匠様だ。政局の節目節目で、的確な助言を与えていただき、余人をもって替え難い政治の指南役だった」
青山葬儀所の祭壇の上で、微笑むその遺影を眺めても、まだ実感が湧かない。
なにしろ、先日会ったばかりなのだ。
焼香した後、ふと、棺の脇に目をやる。
そこには、松野さんの長年愛用していたフェルト帽が飾られていた。
享年89歳、合掌。
(2006.5.18.)

