8/17(木)6:10〜ほか
60年の悲しみ〜浮島丸事件、そして靖国合祀
制作:在韓軍人軍属裁判を支援する会
情報工房スピリトン
取材・編集・ナレーション:加藤久美子
戦後61年目の8月15日、小泉総理が靖国参拝を行いました。
「すべての戦没者に哀悼の意を」と語る小泉総理の想いは
心ならずも靖国神社に“英霊”として合祀されている
朝鮮半島の人たちにも届いているのだろうか…
林西云(イム・ソウン)さん。1942年生まれ。
戦時中、父は日本に海軍軍属として
海軍大湊施設部(青森県)に徴用され、浮島丸事件※1に遭遇し死亡した。
また父は遺族の知らないうちに靖国神社に合祀されている。
「父が日本の天皇のために忠誠を捧げ、戦死したことで称えられていることに納得
できない」と訴える林西云(イム・ソウン)さん。
朝鮮半島から40万人が徴用され、3万人が亡くなったとされるアジア太平洋戦争。
日本人には手厚く補償しながら、旧植民地出身者に対しては
生死確認も満足にされず、一方で「天皇のために殉死したと褒め称えられ」、
靖国に合祀されている人が21181名もいるという。
「父の顔を知らないまま育ち、苦労してがんばって生きてきたが、
年をとり、父のために何かしたい。」
林西云(イム・ソウン)さんは
在韓の元日本軍に徴用された軍人軍属の生存者と遺族414名とともに
日本政府を相手取って、靖国合祀絶止取り消し、遺骨返還、
未払い給与の返還などを求めて戦後補償裁判(GUNGUN裁判)※2を起こしました…
※1 浮島丸事件とは?
終戦9日後の1945年(昭和20年)8月24日午後5時20分頃、京都府舞鶴市佐波賀沖で、海軍特設輸送艦「浮島丸」(4730トン)が突如爆発・沈没
し、乗員乗客549人(政府発表)が死亡する事件が起こりました。浮島丸に乗っていたのは、青森県地方で働いていた朝鮮人労働者とその家族
3735人(政府発表)で、帰国の知らせで浮島丸に乗りこみました。8月22日22時頃、青森県大湊港を出港、釜山を目指し航行中に進路を変更、舞
鶴に寄港し、入港直後この災禍にあったのです。
終戦間際の当時の日本は敗色が濃く、米軍との本土決戦に備えて全国で防備の強化が図られていました。青森県でも下北半島などに強力な防御
線を築くための要塞化や、鉄道の建設、弾薬など資材の備蓄のための工事が進められましたが、日本の若者は根こそぎ戦場に送られており、不
足する労働力を補うため、朝鮮半島から強制連行を含め多数の労働者が集められていました。最近の資料によると 21000人もの朝鮮人労働者
が、青森県にも投入されていたといわれます。これらの人の帰国に浮島丸が配船されたのです。
浮島丸は大阪商船株式会社が沖縄航路のため1937年に建造した貨客船で、41年海軍に徴用され、南方や北方の作戦に従事していました。45年8月
18日母港の大湊に帰港、釜山行きを命ぜられました。
沈没後浮島丸は、爆沈現場にマストを見せた姿のまま放置されていましたが、修復使用が可能かを確かめるため、50年に後半部が引き揚げられ
ます。しかし不可能ということで前半部はそのまま海中に放置され、さらにスクラップとして売却される54年(昭和29年)まで海中にその姿を
見せていました。
なぜ急いで帰国させようとしたか
45年8月21日政府次官会議で強制移入朝鮮人らの徴用解除方針を決定し、22日帰還輸送問題打ち合わせ会を開いていますが、浮島丸に送還命令
が出たのは8月19日となっています。また、この事件を報告した政府資料では、「(朝鮮人工員多数は)連合軍の進駐を極度に恐れたためか、帰
朝の熱望を訴えて不穏の兆しを示した…」などと記述しています。防衛庁戦史資料室保管の海軍省運輸本部「発信電報綴」の「機密第181439番」
に「浮島丸使用差支ナシ」とあることから、運航は海軍大湊警備府の独断ではなく、政府の判断だったことがわかります。
なぜ進路を変更して舞鶴に寄港したか
乗客には水の補給のため、などと説明されていますが、乗員の中には、「舞鶴まで」と家族に伝えていたり、舞鶴で下船の準備をしている…
と証言があります。
また海軍省は、米軍の日本進駐のため、8月24日18時以降船舶の航行禁止命令(大海令第52号)を出しており、はじめから釜山へは行かない計画
ではなかったかと指摘されています。
乗船者数、死亡者数は正確か
同じ政府資料では乗船者数は3735人ですが、他に駆け込み乗船があったと記しています。船員の中には、青函連絡船に代替就航した際の経験
から、5〜6000人という証言もあります。また、死亡者数も遺体収容にあたった人達から5〜600人以上と証言されています。遺骨は71年11月と74
年12月に韓国政府を通じ返還とありますが、遺体の早期焼却・遺骨引き揚げ時の状況から、誰の遺体や遺骨か判別できなかったと思われます。
祐天寺に残る遺骨は10年前の資料で285名分。日本政府はそのうち138人分について、現在韓国内に遺族がいることを確認、早期に返還すること
で合意しています。
爆発の原因は「触雷」か、「自爆」か
当時、出港に際し火薬を積み込んだ、爆破装置がセットされている、という噂が乗組員の家族の間に伝えられていました。舞鶴湾は、米軍が
連夜機雷を投下し危険な海域でもありました。しかし、船体を引き揚げた時も爆破の原因は調査されず、確たる証言もなく、謎のまま今日に
至っています。
※2 GUNGUN裁判とは・・
靖国合祀をやめて! 未払い金・遺骨を返して! 生死確認を!
ホームページ: http://www.gun-gun.jp
2001年6月29日東京地裁へ在韓の元日本軍に徴用された軍人軍属の生存者と遺族414名が日本政府を相手取って起こした戦後補償裁
判。靖国合祀絶止取り消し、遺骨返還、未払い給与の返還などを求める。小泉首相の靖国参拝で、靖国合祀絶止要求が社会的に注目を浴びる。
制作:在韓軍人軍属裁判を支援する会
情報工房スピリトン
取材・編集・ナレーション:加藤久美子
戦後61年目の8月15日、小泉総理が靖国参拝を行いました。
「すべての戦没者に哀悼の意を」と語る小泉総理の想いは
心ならずも靖国神社に“英霊”として合祀されている
朝鮮半島の人たちにも届いているのだろうか…
林西云(イム・ソウン)さん。1942年生まれ。
戦時中、父は日本に海軍軍属として
海軍大湊施設部(青森県)に徴用され、浮島丸事件※1に遭遇し死亡した。
また父は遺族の知らないうちに靖国神社に合祀されている。
「父が日本の天皇のために忠誠を捧げ、戦死したことで称えられていることに納得
できない」と訴える林西云(イム・ソウン)さん。
朝鮮半島から40万人が徴用され、3万人が亡くなったとされるアジア太平洋戦争。
日本人には手厚く補償しながら、旧植民地出身者に対しては
生死確認も満足にされず、一方で「天皇のために殉死したと褒め称えられ」、
靖国に合祀されている人が21181名もいるという。
「父の顔を知らないまま育ち、苦労してがんばって生きてきたが、
年をとり、父のために何かしたい。」
林西云(イム・ソウン)さんは
在韓の元日本軍に徴用された軍人軍属の生存者と遺族414名とともに
日本政府を相手取って、靖国合祀絶止取り消し、遺骨返還、
未払い給与の返還などを求めて戦後補償裁判(GUNGUN裁判)※2を起こしました…
※1 浮島丸事件とは?
終戦9日後の1945年(昭和20年)8月24日午後5時20分頃、京都府舞鶴市佐波賀沖で、海軍特設輸送艦「浮島丸」(4730トン)が突如爆発・沈没
し、乗員乗客549人(政府発表)が死亡する事件が起こりました。浮島丸に乗っていたのは、青森県地方で働いていた朝鮮人労働者とその家族
3735人(政府発表)で、帰国の知らせで浮島丸に乗りこみました。8月22日22時頃、青森県大湊港を出港、釜山を目指し航行中に進路を変更、舞
鶴に寄港し、入港直後この災禍にあったのです。
終戦間際の当時の日本は敗色が濃く、米軍との本土決戦に備えて全国で防備の強化が図られていました。青森県でも下北半島などに強力な防御
線を築くための要塞化や、鉄道の建設、弾薬など資材の備蓄のための工事が進められましたが、日本の若者は根こそぎ戦場に送られており、不
足する労働力を補うため、朝鮮半島から強制連行を含め多数の労働者が集められていました。最近の資料によると 21000人もの朝鮮人労働者
が、青森県にも投入されていたといわれます。これらの人の帰国に浮島丸が配船されたのです。
浮島丸は大阪商船株式会社が沖縄航路のため1937年に建造した貨客船で、41年海軍に徴用され、南方や北方の作戦に従事していました。45年8月
18日母港の大湊に帰港、釜山行きを命ぜられました。
沈没後浮島丸は、爆沈現場にマストを見せた姿のまま放置されていましたが、修復使用が可能かを確かめるため、50年に後半部が引き揚げられ
ます。しかし不可能ということで前半部はそのまま海中に放置され、さらにスクラップとして売却される54年(昭和29年)まで海中にその姿を
見せていました。
なぜ急いで帰国させようとしたか
45年8月21日政府次官会議で強制移入朝鮮人らの徴用解除方針を決定し、22日帰還輸送問題打ち合わせ会を開いていますが、浮島丸に送還命令
が出たのは8月19日となっています。また、この事件を報告した政府資料では、「(朝鮮人工員多数は)連合軍の進駐を極度に恐れたためか、帰
朝の熱望を訴えて不穏の兆しを示した…」などと記述しています。防衛庁戦史資料室保管の海軍省運輸本部「発信電報綴」の「機密第181439番」
に「浮島丸使用差支ナシ」とあることから、運航は海軍大湊警備府の独断ではなく、政府の判断だったことがわかります。
なぜ進路を変更して舞鶴に寄港したか
乗客には水の補給のため、などと説明されていますが、乗員の中には、「舞鶴まで」と家族に伝えていたり、舞鶴で下船の準備をしている…
と証言があります。
また海軍省は、米軍の日本進駐のため、8月24日18時以降船舶の航行禁止命令(大海令第52号)を出しており、はじめから釜山へは行かない計画
ではなかったかと指摘されています。
乗船者数、死亡者数は正確か
同じ政府資料では乗船者数は3735人ですが、他に駆け込み乗船があったと記しています。船員の中には、青函連絡船に代替就航した際の経験
から、5〜6000人という証言もあります。また、死亡者数も遺体収容にあたった人達から5〜600人以上と証言されています。遺骨は71年11月と74
年12月に韓国政府を通じ返還とありますが、遺体の早期焼却・遺骨引き揚げ時の状況から、誰の遺体や遺骨か判別できなかったと思われます。
祐天寺に残る遺骨は10年前の資料で285名分。日本政府はそのうち138人分について、現在韓国内に遺族がいることを確認、早期に返還すること
で合意しています。
爆発の原因は「触雷」か、「自爆」か
当時、出港に際し火薬を積み込んだ、爆破装置がセットされている、という噂が乗組員の家族の間に伝えられていました。舞鶴湾は、米軍が
連夜機雷を投下し危険な海域でもありました。しかし、船体を引き揚げた時も爆破の原因は調査されず、確たる証言もなく、謎のまま今日に
至っています。
※2 GUNGUN裁判とは・・
靖国合祀をやめて! 未払い金・遺骨を返して! 生死確認を!
ホームページ: http://www.gun-gun.jp
2001年6月29日東京地裁へ在韓の元日本軍に徴用された軍人軍属の生存者と遺族414名が日本政府を相手取って起こした戦後補償裁
判。靖国合祀絶止取り消し、遺骨返還、未払い給与の返還などを求める。小泉首相の靖国参拝で、靖国合祀絶止要求が社会的に注目を浴びる。
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