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「イラクニ接近ス」監督 谷澤壮一郎氏からメッセージ

 俺が「イラクニ接近ス」を撮ったのは、2004年の3月から4月にかけてである。世に言う「イラク戦争」から1年後のバグダッドへ、バイトでためた数百ドルと、借り物のハンディカムを手に俺は乗り込んだ。と書くと随分勇ましく見えるかもしれないが、実際は相当ビビっていた。面識のあった外交官の方の殉職も記憶に新しかった。

 イラクを旅するのは3度目だった。開戦前の2月、そして「戦後」の8月の訪問に比べ、最も危険を感じた1ヶ月間ではあった。銃声や遠くの爆発音には既に慣れていったが、近所のホテルが爆破された時や、滞在先の民家のすぐ傍で民兵組織と英軍戦車がドンパチやり始めた時は、足がすくんだ。日本人拘束事件の翌日、ヨルダン行きのバスに乗る俺と、検問で乗り込んで来た覆面男の目線は、確かに合った。あれ程の恐怖はなかなか感じることのないものだ。

 イラクは荒れていた。南部を中心に、ムクタダサドル派の民兵組織と米英軍の衝突が拡大していた。同時に、ファルージャでの米国人殺害を契機に、米軍が町を包囲して大規模な反米勢力掃討作戦を繰り広げていた。無謀にも二正面作戦を展開した米軍は、今後長く嵌る泥沼を、日々自ら拵えているようなものだった。「戦争」は続いていたし、人が死んでいた。日本人拘束事件、などというものは、相対的にはたいした出来事ではなかったのである。

 そんなイラクを俺は旅した。イラクの素敵さは変わりなかった。開戦前からの友人に会った。イラクの現状を語る彼らのことば、言い回しはホンマに「生きている」ことばであると思った。美人にも会えて嬉しかった。変人にも会えて楽しかった。シーア派の聖都、ナジャフの美しさはそのままだったし、バグダッドの街路には生きる活気があふれていた。「日常」は続いていた。そして、そのすぐ隣に、銃声や爆発、占領という「非日常」が共存していた。人々はそのことに慣れきっていた。

 500メートル先でホテルが爆破された。近所の惨禍を衛星放送で目撃する人々。しかし次の瞬間、チャンネルはサッカー中継に切り替えられた。友人が言った。「爆発よりもサッカーの方がええやろ?」 ここにいるのは、もう20年以上戦渦を生きてきた人々だ。彼らは、日々繰り広げられる惨禍を直視することなく、日々を淡々と持続することで、自らの平穏な日常を取り戻そうとしているのではないか。それは、術とも言えるのではないか。

 さて、ここでは拙作の解説にはあまり立ち入らないことにしたい。62分間、見て頂きたい。イラクの陽気な友人らが、何を思っていて、何を求めていて、何に苛立っていて、何がわからないでいるのか。そもそも、普段使われる「イラク」や「イラク人」というイメージの括り、その意味とは何なのか。考えたい。彼らの表情、息継ぎ、視線、イラクの空気、その様な感覚、自分が現地で感じた雰囲気が伝わればと思う。

 俺は自分のイラク行きを仕事でも取材でもなく、「旅」と位置付けてきた。イラク旅行、など聞くと顔をしかめられる世相であろう。だからこそ敢えて、「旅」と書く。完全「自己責任」制作映画と銘打ったのも、その辺りを少々過剰に意識した結果である。何より、「イラクニ接近ス」は、その様なスタンスだったからこそ撮れた作品だと思っている。

2006年5月
谷澤壮一郎 
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