スハルト元大統領死去
独裁政治がもたらした功罪

スハルト元大統領が死去した。
今年に入ってから入院し、人口呼吸器が取り付けられた。
アジアNOW用の「スハルト危篤」原稿を書いた2日後に死去し、あわてて原稿を書き直した。
86年はじめてインドネシアでアセアン外相会議を取材した。
そのときの会議のテーマが「自由の風」。
フィリピン革命で独裁者マルコス元大統領が祖国を追われた直後らしいテーマだと期待した。
ところが取材に入って英字新聞を買って驚いた。
一部記事が読めない。
タールをべったり塗ったあと紙を貼り付けてあり、はがすと新聞が破れてしまう。(写真)
報道規制を目の当たりにした。
「自由の風」はあくまでもアセアン域内の貿易と投資に限られていた。
本当の「自由の風」は1998年スハルトが退陣するまで吹かなかった。
独裁開発で突き進んでいったスハルト経済政策もアジア通貨危機の下では無力だった。
ジャカルタは騒乱状態になり、中華街が民衆に焼き討ちされひいきにしていた饅頭のうまいレストランもあっというまに廃墟になった。
手伝ってもらっていた数人のインドネシア人の記者は華僑系だったが、全員がシンガポール行きの航空券を握り締め家族を伴って非難したいと言い出しこちらがあわてた。
スハルト政権樹立前後の華僑に対する厳しい弾圧を裏打ちするものだ。
一方、スハルト政権時代にインドネシア経済が急成長しアセアンの盟主になったことも確かだ。
モフタル元外相やアラタス元外相などがカンボジア内戦終結に大きな役割を果たしたことも忘れるわけにはいかない。
インドネシアのひとつの時代が過ぎ去っていく。
スハルト時代には禁止されていた春節のお祝いが今年も中華街で始まった。
スハルト元大統領が死去した。
今年に入ってから入院し、人口呼吸器が取り付けられた。
アジアNOW用の「スハルト危篤」原稿を書いた2日後に死去し、あわてて原稿を書き直した。
86年はじめてインドネシアでアセアン外相会議を取材した。
そのときの会議のテーマが「自由の風」。
フィリピン革命で独裁者マルコス元大統領が祖国を追われた直後らしいテーマだと期待した。
ところが取材に入って英字新聞を買って驚いた。
一部記事が読めない。
タールをべったり塗ったあと紙を貼り付けてあり、はがすと新聞が破れてしまう。(写真)
報道規制を目の当たりにした。
「自由の風」はあくまでもアセアン域内の貿易と投資に限られていた。
本当の「自由の風」は1998年スハルトが退陣するまで吹かなかった。
独裁開発で突き進んでいったスハルト経済政策もアジア通貨危機の下では無力だった。
ジャカルタは騒乱状態になり、中華街が民衆に焼き討ちされひいきにしていた饅頭のうまいレストランもあっというまに廃墟になった。
手伝ってもらっていた数人のインドネシア人の記者は華僑系だったが、全員がシンガポール行きの航空券を握り締め家族を伴って非難したいと言い出しこちらがあわてた。
スハルト政権樹立前後の華僑に対する厳しい弾圧を裏打ちするものだ。
一方、スハルト政権時代にインドネシア経済が急成長しアセアンの盟主になったことも確かだ。
モフタル元外相やアラタス元外相などがカンボジア内戦終結に大きな役割を果たしたことも忘れるわけにはいかない。
インドネシアのひとつの時代が過ぎ去っていく。
スハルト時代には禁止されていた春節のお祝いが今年も中華街で始まった。
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