騒乱状態になったミャンマー情勢
僧侶を攻撃する治安部隊


ミャンマー情勢が一気に悪化した。
1988年8月のような騒乱状態になるかならないか予断を許さない。
1988年の騒乱の時はバンコクから取材したが、なかなか思うように映像や情報が取れなかったことを思い出す。
当時に比較すれば、かなり正確な情報と豊富な映像が入っている。
理由は携帯電話や小型ビデオカメラの発展だろう。
観光客などが持ち込む小型情報機器は相当な数に上っているはずだ。
軍事政権は懸命に規制しようとしているのだろうが、情報化の発展を規制するのは難しい。
逆に今回は明確な指導者と方針がない。
民主化運動家のアウン・サン・スーチーさん(写真)は治安当局に拘束されているし、ヤンゴン大学やヤンゴン工科大学は地方に移転させられ、当時中心になって動いた学生たちいまのところ動きが取れない。
現在ヤンゴンなど都市に限られたデモが地方に飛び火するかどうかだ。
次の写真はタイのミャンマー国境に隣接した町メソッドから対岸のミャンマーの町メヤワディーを写したものだ。
1988年当時は国の果てのメヤワディーでもデモが行われ、対岸のタイでもシュプレヒコールが聞こえた。
軍事政権が一部の人間が騒乱を起こしているという当時の広報は完全にうそであることがわかった。
治安部隊が僧侶を滅多打ちしたり、仏像の首をはねている映像が流れているが、治安部隊のほとんどはキリスト教徒など他の宗派の少数民族であると推測される。
イギリスはビルマを植民地支配するときカレン族など一部の少数民族をキリスト教に改宗させ、仏教徒の多いビルマ族に対抗させ、ビルマ分断をはかった。
記憶に新しいところでは軍事政権が改宗しなかった仏教徒のカレン族をキリスト教徒のカレン族に向かって攻撃させミャンマー領から追い出した事件があった。
軍事政権がまたかつてイギリスが使った同じ手法をとったとしてもおかしくない。
日本人記者を含む死者が出ているが、デモの真っ只中で取材中、日本の新聞記者が殴打されたという情報を聞いて必死に逃げたことを思い出す。
ミャンマー情勢が一気に悪化した。
1988年8月のような騒乱状態になるかならないか予断を許さない。
1988年の騒乱の時はバンコクから取材したが、なかなか思うように映像や情報が取れなかったことを思い出す。
当時に比較すれば、かなり正確な情報と豊富な映像が入っている。
理由は携帯電話や小型ビデオカメラの発展だろう。
観光客などが持ち込む小型情報機器は相当な数に上っているはずだ。
軍事政権は懸命に規制しようとしているのだろうが、情報化の発展を規制するのは難しい。
逆に今回は明確な指導者と方針がない。
民主化運動家のアウン・サン・スーチーさん(写真)は治安当局に拘束されているし、ヤンゴン大学やヤンゴン工科大学は地方に移転させられ、当時中心になって動いた学生たちいまのところ動きが取れない。
現在ヤンゴンなど都市に限られたデモが地方に飛び火するかどうかだ。
次の写真はタイのミャンマー国境に隣接した町メソッドから対岸のミャンマーの町メヤワディーを写したものだ。
1988年当時は国の果てのメヤワディーでもデモが行われ、対岸のタイでもシュプレヒコールが聞こえた。
軍事政権が一部の人間が騒乱を起こしているという当時の広報は完全にうそであることがわかった。
治安部隊が僧侶を滅多打ちしたり、仏像の首をはねている映像が流れているが、治安部隊のほとんどはキリスト教徒など他の宗派の少数民族であると推測される。
イギリスはビルマを植民地支配するときカレン族など一部の少数民族をキリスト教に改宗させ、仏教徒の多いビルマ族に対抗させ、ビルマ分断をはかった。
記憶に新しいところでは軍事政権が改宗しなかった仏教徒のカレン族をキリスト教徒のカレン族に向かって攻撃させミャンマー領から追い出した事件があった。
軍事政権がまたかつてイギリスが使った同じ手法をとったとしてもおかしくない。
日本人記者を含む死者が出ているが、デモの真っ只中で取材中、日本の新聞記者が殴打されたという情報を聞いて必死に逃げたことを思い出す。
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