スルー諸島に残る入植日本人の墓
墓参する人もなく物干し場に

明治維新、日本の鎖国政策の解除とともに大勢の日本人が海外に入植した。
一部は国策として行われ、恵まれない生活環境の中で若くして没した人の墓や慰霊塔がアジアにも点在している。
マレーシアのサンダカンに眠るカラユキさんの墓などは小説になったこともあり有名だ。
フィリピン国軍とアブサヤフやMILFモロ・イスラム解放戦線などイスラムゲリラと激しい戦闘が繰り返されているスルー諸島にも現地で没した日本人の墓がある。
スルー諸島はフィリピンのミンダナオ島からマレーシアのボルネオ島に転々と連なる島々である。
今は戦闘が激しく取材も難しいが、90年代中ごろのラモス政権の時代はフィリピン政府とイスラムゲリラの間で和解が模索され比較的落ち着いていた。
現地のフィリピン人が日本人の墓があるというのでてっきり良く見かける旧日本軍の兵士の墓か慰霊塔だろうと思ってついてゆくと、100柱ほどの墓が並んでいいた(写真)
墓参に来る人も絶えたのであろう、墓地は現地の人の物干し場と化していた。
墓標を読むと昭和の初期の建立で日本人の名前とスルー日本人会の字が読める。
ほとんどが九州の天草の出身者だ。
現地の人の話では真珠の養殖のためにかなりの数の日本人が入植し、現地で没した人の墓だという。
スルー諸島にかけた真珠の養殖の夢はたぶん砕け散ったのであろう。
もはやスルー日本人会も存在しない。
手を合わせて墓を離れた。
明治維新、日本の鎖国政策の解除とともに大勢の日本人が海外に入植した。
一部は国策として行われ、恵まれない生活環境の中で若くして没した人の墓や慰霊塔がアジアにも点在している。
マレーシアのサンダカンに眠るカラユキさんの墓などは小説になったこともあり有名だ。
フィリピン国軍とアブサヤフやMILFモロ・イスラム解放戦線などイスラムゲリラと激しい戦闘が繰り返されているスルー諸島にも現地で没した日本人の墓がある。
スルー諸島はフィリピンのミンダナオ島からマレーシアのボルネオ島に転々と連なる島々である。
今は戦闘が激しく取材も難しいが、90年代中ごろのラモス政権の時代はフィリピン政府とイスラムゲリラの間で和解が模索され比較的落ち着いていた。
現地のフィリピン人が日本人の墓があるというのでてっきり良く見かける旧日本軍の兵士の墓か慰霊塔だろうと思ってついてゆくと、100柱ほどの墓が並んでいいた(写真)
墓参に来る人も絶えたのであろう、墓地は現地の人の物干し場と化していた。
墓標を読むと昭和の初期の建立で日本人の名前とスルー日本人会の字が読める。
ほとんどが九州の天草の出身者だ。
現地の人の話では真珠の養殖のためにかなりの数の日本人が入植し、現地で没した人の墓だという。
スルー諸島にかけた真珠の養殖の夢はたぶん砕け散ったのであろう。
もはやスルー日本人会も存在しない。
手を合わせて墓を離れた。
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