治安が悪化するスルー諸島
日本人も入植していたイスラムの島

フィリピンの南ミンダナオ島からボルネオ島にかけて点在するスルー諸島。
このスルー諸島のホロ島はイスラムゲリラと国軍の戦闘が激しさをまし、最近、民間人は近寄ることさえできなくなってしまったが、20年程前ラモス政権時代の比較的治安がよかった時に取材に行ったことがある。
もともとスルー諸島はスルタンが治めるイスラム王国で、最後まで列強の植民地支配に抵抗していたが、1915年アメリカの支配に下り、亡国の悲運に見舞われる。
大戦後はマレーシア領とフィリピン領に分断されたが、漂海民であるスルーの人たちは
パスポートも持たずにインドネシアやマレーシアそれにフィリピンの間を船で行き来し、貿易や漁業に従事している。
法律的には不法入出国だが漂海民にしてみればもともと何百年も続けてきた生業を自国内で続けているだけだ。
島のマーケットにはマレーシアからの華僑新聞、インドネシアからの日用品が並ぶ。
ホロ島の海岸には旧日本軍の破壊された艦船が流れ着いていた。
ぼろぼろにさび付いているが、潜水艦のようだ。
何人の日本兵がこの艦船で戦死したのだろうか。
島の住民が日本人の墓に案内するという。
ついてゆくと日本式の墓標が100柱ほど立っていた。
スルー諸島に昭和のはじめ日本人が入植し、真珠の養殖をしていたという。
墓標の文字を読むと墓標はスルー日本人会が建立したもので出身者はほとんどが九州の天草だ。
忘れ去られた墓、今は現地の住人の物干し場になっていた。(写真)
無論今は入植者もいないし、スルー日本人会もない。
スルー諸島に没した日本人の痕跡を2つ見た。
フィリピンの南ミンダナオ島からボルネオ島にかけて点在するスルー諸島。
このスルー諸島のホロ島はイスラムゲリラと国軍の戦闘が激しさをまし、最近、民間人は近寄ることさえできなくなってしまったが、20年程前ラモス政権時代の比較的治安がよかった時に取材に行ったことがある。
もともとスルー諸島はスルタンが治めるイスラム王国で、最後まで列強の植民地支配に抵抗していたが、1915年アメリカの支配に下り、亡国の悲運に見舞われる。
大戦後はマレーシア領とフィリピン領に分断されたが、漂海民であるスルーの人たちは
パスポートも持たずにインドネシアやマレーシアそれにフィリピンの間を船で行き来し、貿易や漁業に従事している。
法律的には不法入出国だが漂海民にしてみればもともと何百年も続けてきた生業を自国内で続けているだけだ。
島のマーケットにはマレーシアからの華僑新聞、インドネシアからの日用品が並ぶ。
ホロ島の海岸には旧日本軍の破壊された艦船が流れ着いていた。
ぼろぼろにさび付いているが、潜水艦のようだ。
何人の日本兵がこの艦船で戦死したのだろうか。
島の住民が日本人の墓に案内するという。
ついてゆくと日本式の墓標が100柱ほど立っていた。
スルー諸島に昭和のはじめ日本人が入植し、真珠の養殖をしていたという。
墓標の文字を読むと墓標はスルー日本人会が建立したもので出身者はほとんどが九州の天草だ。
忘れ去られた墓、今は現地の住人の物干し場になっていた。(写真)
無論今は入植者もいないし、スルー日本人会もない。
スルー諸島に没した日本人の痕跡を2つ見た。
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