動物園のようなタイの寺
子猫を育てるサル

バンコクから少し離れた田園地帯のお寺に行くと境内にさまざまな動物が闊歩している。
鳥インフルエンザの影響で鳥類は少し減ったようだが、犬や猫はもちろんのこと鹿や馬それに猪などがうろうろしている。
日本ならさしずめ猟友会のメンバーが猟銃を持って駆けつけてきそうだが、僧侶も参拝者も目もくれない。
寺に動物が多いのは豊富に食料が集まるからだ。
朝5時には起きて僧侶は毎日托鉢に出かける。
村人は朝ごはんを用意し、僧侶が来るのを待つ。
僧侶が自宅の前で経を唱えている間に、鉢に朝ごはんを入れ徳を積む。
量が多ければ多いほど徳が積める。
寺に戻り僧侶は食事をするが、朝ごはんは食べきれないほどの量だ。
戒律により午後なると僧侶は食事をしないから、大量の朝ごはんが余ってしまう。
朝ごはんはあくまで徳をつむために寄進されたものだから返すわけにもいかず、僧侶は境内の動物に与える。
そこで市民が飼えなくなった動物を寺に持ち込むというわけだ。
写真のサルは母親を殺された子ザルを見つけた村人が自分では飼えないので中部タイのナコムパノムにある寺に持ち込んだものだ。
サルに抱かれている2匹の子猫はこの寺に捨てられた。
サルは子猫を自分の子供と思っていると住職は言う。
サルは人間の子供も好きなようで、幼女、サル、子猫のなんともいえない愛らしい光景に思わず写真を撮った。
夜、サルは子猫を抱え、木に登って一緒に眠る。
寺が受け入れるのは無論動物だけではない。
人生に疲れた人、悩み事がある人、家族と折り合いが悪い人、それに失業中の人、だれでも寺で生活できる。
境内を清掃したり、托鉢の手伝いや写経をして心が落ち着いたら帰ればいい。
僧侶はお金に関係しないから無料だ。
お礼をしたければ、日用品が詰まった僧侶に贈るためのパックを店で買って奉納する。
タイ社会独特の包容力を感じる。
バンコクから少し離れた田園地帯のお寺に行くと境内にさまざまな動物が闊歩している。
鳥インフルエンザの影響で鳥類は少し減ったようだが、犬や猫はもちろんのこと鹿や馬それに猪などがうろうろしている。
日本ならさしずめ猟友会のメンバーが猟銃を持って駆けつけてきそうだが、僧侶も参拝者も目もくれない。
寺に動物が多いのは豊富に食料が集まるからだ。
朝5時には起きて僧侶は毎日托鉢に出かける。
村人は朝ごはんを用意し、僧侶が来るのを待つ。
僧侶が自宅の前で経を唱えている間に、鉢に朝ごはんを入れ徳を積む。
量が多ければ多いほど徳が積める。
寺に戻り僧侶は食事をするが、朝ごはんは食べきれないほどの量だ。
戒律により午後なると僧侶は食事をしないから、大量の朝ごはんが余ってしまう。
朝ごはんはあくまで徳をつむために寄進されたものだから返すわけにもいかず、僧侶は境内の動物に与える。
そこで市民が飼えなくなった動物を寺に持ち込むというわけだ。
写真のサルは母親を殺された子ザルを見つけた村人が自分では飼えないので中部タイのナコムパノムにある寺に持ち込んだものだ。
サルに抱かれている2匹の子猫はこの寺に捨てられた。
サルは子猫を自分の子供と思っていると住職は言う。
サルは人間の子供も好きなようで、幼女、サル、子猫のなんともいえない愛らしい光景に思わず写真を撮った。
夜、サルは子猫を抱え、木に登って一緒に眠る。
寺が受け入れるのは無論動物だけではない。
人生に疲れた人、悩み事がある人、家族と折り合いが悪い人、それに失業中の人、だれでも寺で生活できる。
境内を清掃したり、托鉢の手伝いや写経をして心が落ち着いたら帰ればいい。
僧侶はお金に関係しないから無料だ。
お礼をしたければ、日用品が詰まった僧侶に贈るためのパックを店で買って奉納する。
タイ社会独特の包容力を感じる。
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