変わりゆくハノイ
ドイモイがもたらした経済発展

11月ベトナムの首都ハノイに各国の首脳が集まった。
APECアジア太平洋経済協力会議が開かれ、経済問題ばかりでなく北朝鮮の核開発問題なども話し合われた。
テレビの映像には各国の賓客を迎えるハノイの表情が映し出された。
会議の内容もさることながら、ハノイの町並みに興味がわいた。
初めてハノイに入ったのは、(行ったのではなく入ったという感覚がふさわしかった。)
丁度20年前の1986年グエン・バンリン書記長がドイモイ刷新を発表した直後だった。
ベトナム戦争、カンボジア紛争それに中越戦争と戦争の連続だったベトナム。
カンボジアを侵攻したという理由で経済制裁も受けていた。
孤立したベトナムに入るのは大変だった。
まず、ビザがなかなかでない。
社会主義、官僚主義が遺憾なく発揮され役人が仕事をしないからだ。
ビザが出るのは出発の朝、それも飛行機に間に合うかどうかのという時間だ。
やっとの思いでハノイのノイバイ国際空港にたどり着く。
そこから舗装どころか米軍機が落とした爆弾でできた穴がまだところどころ修復されていないがたがた道を1時間以上走らなければならない。
アジア取材で頼りになるのは中華街だ。
食文化が違う国で、食べ物が合わなくてもアジアならどこにでもある中華街に行けば何とかなる。
ところが中越戦争直後で華僑が逃げ出し、ハノイの中華街はもぬけの殻だった。
ノイバイ空港の出発ロビーでビールを見つけたときは飛び上がるほどうれしかったが、単なる飾り物として空瓶を置いてあることが分かって腰が抜けそうになった。
水、カップラーメンそれにトイレットペーパーは必携。
まるでキャンプだ。
写真はそれから6年後の92年にハノイに入ったときの写真だ。
ドイモイ政策がようやく軌道に乗り始め、物資も豊かになってきたが、高層ビルなどはまったく見られない。
だが、このとき驚いたことが2つあった。
ひとつは電話がプッシュホンになっていて東京と直通でつながったことだ。
それまではハノイの交換手に申し込んで東京につながるまで2時間待ち。
ようやくつながり東京の声が地獄のそこからささやくようなかすかな声で聞こえた時には用件を忘れてしまうという笑えない話もある。
もうひとつは日本食レストランで刺身を食べたことだ。
恐る恐る食べてみたが、食中毒は起こさなかった。
そして今、テレビ画面に映し出されるハノイの映像はアジアのあちこちで見られる急速に発展する都市の姿だ。
2001年、最後にハノイに行ってから5年たつが、この間にビルの数が3倍になったようだ。
かつての敵国アメリカの大統領がベトナムの民族衣装を着けて各国首脳と並んで写真におさまり、日本の経団連会長が投資セミナー出席にためハノイを訪れる。
ドイモイ後のベトナムを模範にすべきだとAPECでハノイを訪れたフィリピンのアロヨ大統領が国民に呼びかけた。
11月ベトナムの首都ハノイに各国の首脳が集まった。
APECアジア太平洋経済協力会議が開かれ、経済問題ばかりでなく北朝鮮の核開発問題なども話し合われた。
テレビの映像には各国の賓客を迎えるハノイの表情が映し出された。
会議の内容もさることながら、ハノイの町並みに興味がわいた。
初めてハノイに入ったのは、(行ったのではなく入ったという感覚がふさわしかった。)
丁度20年前の1986年グエン・バンリン書記長がドイモイ刷新を発表した直後だった。
ベトナム戦争、カンボジア紛争それに中越戦争と戦争の連続だったベトナム。
カンボジアを侵攻したという理由で経済制裁も受けていた。
孤立したベトナムに入るのは大変だった。
まず、ビザがなかなかでない。
社会主義、官僚主義が遺憾なく発揮され役人が仕事をしないからだ。
ビザが出るのは出発の朝、それも飛行機に間に合うかどうかのという時間だ。
やっとの思いでハノイのノイバイ国際空港にたどり着く。
そこから舗装どころか米軍機が落とした爆弾でできた穴がまだところどころ修復されていないがたがた道を1時間以上走らなければならない。
アジア取材で頼りになるのは中華街だ。
食文化が違う国で、食べ物が合わなくてもアジアならどこにでもある中華街に行けば何とかなる。
ところが中越戦争直後で華僑が逃げ出し、ハノイの中華街はもぬけの殻だった。
ノイバイ空港の出発ロビーでビールを見つけたときは飛び上がるほどうれしかったが、単なる飾り物として空瓶を置いてあることが分かって腰が抜けそうになった。
水、カップラーメンそれにトイレットペーパーは必携。
まるでキャンプだ。
写真はそれから6年後の92年にハノイに入ったときの写真だ。
ドイモイ政策がようやく軌道に乗り始め、物資も豊かになってきたが、高層ビルなどはまったく見られない。
だが、このとき驚いたことが2つあった。
ひとつは電話がプッシュホンになっていて東京と直通でつながったことだ。
それまではハノイの交換手に申し込んで東京につながるまで2時間待ち。
ようやくつながり東京の声が地獄のそこからささやくようなかすかな声で聞こえた時には用件を忘れてしまうという笑えない話もある。
もうひとつは日本食レストランで刺身を食べたことだ。
恐る恐る食べてみたが、食中毒は起こさなかった。
そして今、テレビ画面に映し出されるハノイの映像はアジアのあちこちで見られる急速に発展する都市の姿だ。
2001年、最後にハノイに行ってから5年たつが、この間にビルの数が3倍になったようだ。
かつての敵国アメリカの大統領がベトナムの民族衣装を着けて各国首脳と並んで写真におさまり、日本の経団連会長が投資セミナー出席にためハノイを訪れる。
ドイモイ後のベトナムを模範にすべきだとAPECでハノイを訪れたフィリピンのアロヨ大統領が国民に呼びかけた。
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