61回目の終戦記念日
毎年8月15日になると太平洋戦争について考えさせられる。

もう20年以上も前、泰緬鉄道の取材にタイとミャンマー国境を初めて、訪れたときの印象が今でも鮮明に残っている。
その後、十数回に渡って現地を取材した。
泰緬鉄道は旧日本軍がビルマ戦線へ物資を運ぼうとしたが、すでに
敗戦の色濃く、制空権を奪われていたためタイとビルマを隔てる山岳地帯を切り開き敷設した鉄道だ。
米英の爆撃を避けるため、断崖に張り付くように線路が敷設されたため、難工事となったが、工期は1年と定められたため、シンガポールなどから捕虜になったイギリス兵やオーストラリア兵が動員された。
当時の様子はハリウッド映画「戦場にかける橋」などにも描かれている。
映画の内容は現実と近い部分もあるが、違っているところもあるようだ。
取材はジャングルの中にもぐりこんだり、崖の際を行かなければならずかなり苦労した。
ミャンマー国境付近のジャングルで知らない間にミャンマー領内に入り込み、ミャンマー軍の国境警備隊にいきなり機関銃を突きつけられたこともあった。
ホールドアップさせられたまま入国管理事務所に連行されたが、丁寧に状況を説明すると若い軍人は笑顔で理解してくれた。
また6年ほど前の取材では、タイ退役軍人数人から当時の話を聞くことができた。
取材を通して、映画「戦場にかける橋」は大きく2つ点で事実と食い違っていることが分かった。
イギリス兵やオーストラリア兵がひどい虐待を受け7千人が死亡したことは事細かに描かれているが、15万人以上のアジア人労働者がマレーシアなどから拉致同然の状態で現場に連行され、10倍以上の死亡者がでたことは一カットも描かれていない。
もう一つは映画の中では蒸気機関車を生んだイギリスの将校が技術指導したので難工事が完成したように描かれているが、実際は満州鉄道を作った鉄道隊が技術指導した。
ただ映画を含めさまざまな情報と現場の状況を考え合わせると全く無謀な計画だということだけははっきりしている。
タイの退役軍人よれば、旧日本軍が持っていた高射砲はただの1基、それも設置後
まもなく米空軍機に爆破されてしまったという。
情報戦も完敗で、公表されたアメリカの公文書によれば工事の進捗状況、戦闘態勢など完全にアメリカ側に筒抜けだった。
また鉄橋をかける鉄がないため、ジャングルの木を切り倒して橋を架けた。
木橋は現在も残っていて鉄道が走り、観光スポットになっている。
線路はタイ側の途中で切れている。
大方のタイ人はすでにこの鉄道がかつてはミャンマーまでつながっていたということを知らない。
だが、ミャンマー国境近くのジャングルの中にその痕跡が残っている。
無論、観光客などは来ないのでジャングルの中はひっそりとしている。
線路は鉄くずとして売れるため、戦後まもなくなくなってしまったが、切通しや線路の下の砂利や枕木が残っている(写真)。
かつての線路だったところも大木が生い茂り、60年の歳月を感じさせる。
切通しの削られたあとを見ると当時の苦労や戦闘の激しさそれにむなしく死んでいった人々を想像することができる。
だが、泰緬鉄道ばかりでなくかつての戦場に出かける日本人は少なくなったようだ。
フィリピンやインドネシアなどの戦場を取材している途中で道端に倒れ放置されている旧日本兵の慰霊塔を見ると旧日本兵が倒れているような気がして、手で起こしたこともあった。
フィリピンなどでは日本人の遺族が高齢になって訪れてこなくなったため、現地の人たちだけで慰霊祭行うこともあるという。
かつての戦場に立つとその土地の風土、人々の暮らし、言い伝えなどから当時の悲惨なまたむなしい状況が想像できる。
日本の近代化、民主化の犠牲となった英霊に敬意を払う最良の方法は散った旧日本兵の戦場に立つことだと思う。
もう20年以上も前、泰緬鉄道の取材にタイとミャンマー国境を初めて、訪れたときの印象が今でも鮮明に残っている。
その後、十数回に渡って現地を取材した。
泰緬鉄道は旧日本軍がビルマ戦線へ物資を運ぼうとしたが、すでに
敗戦の色濃く、制空権を奪われていたためタイとビルマを隔てる山岳地帯を切り開き敷設した鉄道だ。
米英の爆撃を避けるため、断崖に張り付くように線路が敷設されたため、難工事となったが、工期は1年と定められたため、シンガポールなどから捕虜になったイギリス兵やオーストラリア兵が動員された。
当時の様子はハリウッド映画「戦場にかける橋」などにも描かれている。
映画の内容は現実と近い部分もあるが、違っているところもあるようだ。
取材はジャングルの中にもぐりこんだり、崖の際を行かなければならずかなり苦労した。
ミャンマー国境付近のジャングルで知らない間にミャンマー領内に入り込み、ミャンマー軍の国境警備隊にいきなり機関銃を突きつけられたこともあった。
ホールドアップさせられたまま入国管理事務所に連行されたが、丁寧に状況を説明すると若い軍人は笑顔で理解してくれた。
また6年ほど前の取材では、タイ退役軍人数人から当時の話を聞くことができた。
取材を通して、映画「戦場にかける橋」は大きく2つ点で事実と食い違っていることが分かった。
イギリス兵やオーストラリア兵がひどい虐待を受け7千人が死亡したことは事細かに描かれているが、15万人以上のアジア人労働者がマレーシアなどから拉致同然の状態で現場に連行され、10倍以上の死亡者がでたことは一カットも描かれていない。
もう一つは映画の中では蒸気機関車を生んだイギリスの将校が技術指導したので難工事が完成したように描かれているが、実際は満州鉄道を作った鉄道隊が技術指導した。
ただ映画を含めさまざまな情報と現場の状況を考え合わせると全く無謀な計画だということだけははっきりしている。
タイの退役軍人よれば、旧日本軍が持っていた高射砲はただの1基、それも設置後
まもなく米空軍機に爆破されてしまったという。
情報戦も完敗で、公表されたアメリカの公文書によれば工事の進捗状況、戦闘態勢など完全にアメリカ側に筒抜けだった。
また鉄橋をかける鉄がないため、ジャングルの木を切り倒して橋を架けた。
木橋は現在も残っていて鉄道が走り、観光スポットになっている。
線路はタイ側の途中で切れている。
大方のタイ人はすでにこの鉄道がかつてはミャンマーまでつながっていたということを知らない。
だが、ミャンマー国境近くのジャングルの中にその痕跡が残っている。
無論、観光客などは来ないのでジャングルの中はひっそりとしている。
線路は鉄くずとして売れるため、戦後まもなくなくなってしまったが、切通しや線路の下の砂利や枕木が残っている(写真)。
かつての線路だったところも大木が生い茂り、60年の歳月を感じさせる。
切通しの削られたあとを見ると当時の苦労や戦闘の激しさそれにむなしく死んでいった人々を想像することができる。
だが、泰緬鉄道ばかりでなくかつての戦場に出かける日本人は少なくなったようだ。
フィリピンやインドネシアなどの戦場を取材している途中で道端に倒れ放置されている旧日本兵の慰霊塔を見ると旧日本兵が倒れているような気がして、手で起こしたこともあった。
フィリピンなどでは日本人の遺族が高齢になって訪れてこなくなったため、現地の人たちだけで慰霊祭行うこともあるという。
かつての戦場に立つとその土地の風土、人々の暮らし、言い伝えなどから当時の悲惨なまたむなしい状況が想像できる。
日本の近代化、民主化の犠牲となった英霊に敬意を払う最良の方法は散った旧日本兵の戦場に立つことだと思う。
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