
永田町の舞台裏 06.7.1号
「苦しいときに周りの人間が見える」
今でも忘れられない橋本龍太郎とのやりとりがある。
地方の県知事選挙の応援に同行取材したときのことだ。
当時、自民党は細川連立政権の前に野党暮らしを強いられているときで、橋本は政調会長だった。橋本は、河野洋平(現衆院議長)、石原慎太郎(現東京都知事)とともに国民的な人気が高く、選挙応援ではひっぱりだこだった。
同行したのは私ひとりだった。
現地へ向かう新幹線の中で、橋本に話しかけた。
「今度の知事選は事前の世論調査では厳しいみたいですね」
「自民党と名のつくものは今の有権者は受け入れない。たぶん勝てないかもしれないなあ」
「橋本さんが入ると空気も変わるかも…」
すると、橋本は、あの独特の多少気障な笑顔を浮かべてこう言った。
「あのねえ、みんな誤解してるから教えてあげるよ。オレが応援に行く選挙は実は元々負け戦が圧倒的に多いんだよ。苦しいから来て欲しい、と。オレが(応援に)入ると、全部逆転して勝つなんてことはありえない。だからオレにとって選挙応援はいつも気が重いものなんだよ。意外だろ?」
街頭などに立つと「龍サマァ〜!」と黄色い声も飛び橋本は手を振り選挙戦が華やかになる。しかし、その陰で、橋本の心情はまったく逆の、重く、真剣なものだったのだ。
案の定、この知事選選挙は下馬評通り自民推薦候補が敗れた。翌日の新聞報道では『橋龍ら党を挙げての応援も実らず』『橋龍選挙神話崩れる』などと書かれていた。
それを見ながら、橋本はこう話してくれた。
「あんな書かれ方してもまったく気にしないよ。だってハナから負ける選挙だから行くんだもん。それでもなぜ応援に行くかって?勝つ選挙は放っておいてもいいだろ。そんな選挙はうち(自民党)の中でも、目立ちたがりが応援に行けばいいんだ。実は厳しい選挙ほど学ぶことは多い。有権者がなぜ自民党を嫌っているか、どこに問題があるのか、そんなことを勉強できるのは実は負け戦なんだよ。でも行って負けたではみっともないから誰も行きたがらない。誰かがやらなきゃいけないことなんだよなあ」
新聞記事の中傷を、これまたあの気障な笑顔で平然とやり過ごした。
そして…。
「それにねえ。一番苦しいときに助けてくれる人というのは大事なんだよ。絶好調のときにはみんな尻尾振って寄ってくるだろ。形勢が悪くなれば寄り付かなくなるどころか切ってしまう。苦しいときにこそ本当に周りの人間が見えるんだ。特に選挙で落選した人たちには、この世界は冷たいからなあ。オレみたいのが一人いてもいいんじゃないの(笑)」
当時、自民党本部で遊説を担当していた職員は、
「橋本さんほど全国を応援で回った人はいない。スケジュールの調整が大変だった。でも、ふたつの応援日程がぶつかると、『どっちが厳しいの?』と聞かれ、橋本さんは厳しい方を必ず選んでいたのが印象的だった」
と振り返る。
橋本の『こだわり』、『本音』、そして『情』を垣間見た取材のワンシーンだった。
橋本が逝った。
『一匹狼』『鼻っ柱が強い』『気障』…。永田町の記者の中でよく言われた橋本評だ。しかし、私はそんな評価とは裏腹の橋本を多く見かけた。
例えば、国民的人気があると煽てられ全国の選挙遊説でさぞかし良い気持ちに浸っていたと思いきや、実はそうではなかったように…。
橋本は決して順風満帆ではなかった。身内の経世会から総裁選出馬にストップをかけられたり、小泉路線の前身でもある六大改革を打ち出したものの参院選敗北で総理の座を追われたり、そして最後は日歯連事件で政界からも引退。その度に、永田町で多くの政治家やマスコミが橋本に向けたのはバッシングだった。
皮肉にも橋本が語っていたように、「絶好調のときは寄ってきても不利となれば切る」という永田町の無情を、最後まで身に染みて感じ続けたのではないか。
訃報に接しながら、そんなことを思い巡らした。 【文中敬称略】 (S)
今でも忘れられない橋本龍太郎とのやりとりがある。
地方の県知事選挙の応援に同行取材したときのことだ。
当時、自民党は細川連立政権の前に野党暮らしを強いられているときで、橋本は政調会長だった。橋本は、河野洋平(現衆院議長)、石原慎太郎(現東京都知事)とともに国民的な人気が高く、選挙応援ではひっぱりだこだった。
同行したのは私ひとりだった。
現地へ向かう新幹線の中で、橋本に話しかけた。
「今度の知事選は事前の世論調査では厳しいみたいですね」
「自民党と名のつくものは今の有権者は受け入れない。たぶん勝てないかもしれないなあ」
「橋本さんが入ると空気も変わるかも…」
すると、橋本は、あの独特の多少気障な笑顔を浮かべてこう言った。
「あのねえ、みんな誤解してるから教えてあげるよ。オレが応援に行く選挙は実は元々負け戦が圧倒的に多いんだよ。苦しいから来て欲しい、と。オレが(応援に)入ると、全部逆転して勝つなんてことはありえない。だからオレにとって選挙応援はいつも気が重いものなんだよ。意外だろ?」
街頭などに立つと「龍サマァ〜!」と黄色い声も飛び橋本は手を振り選挙戦が華やかになる。しかし、その陰で、橋本の心情はまったく逆の、重く、真剣なものだったのだ。
案の定、この知事選選挙は下馬評通り自民推薦候補が敗れた。翌日の新聞報道では『橋龍ら党を挙げての応援も実らず』『橋龍選挙神話崩れる』などと書かれていた。
それを見ながら、橋本はこう話してくれた。
「あんな書かれ方してもまったく気にしないよ。だってハナから負ける選挙だから行くんだもん。それでもなぜ応援に行くかって?勝つ選挙は放っておいてもいいだろ。そんな選挙はうち(自民党)の中でも、目立ちたがりが応援に行けばいいんだ。実は厳しい選挙ほど学ぶことは多い。有権者がなぜ自民党を嫌っているか、どこに問題があるのか、そんなことを勉強できるのは実は負け戦なんだよ。でも行って負けたではみっともないから誰も行きたがらない。誰かがやらなきゃいけないことなんだよなあ」
新聞記事の中傷を、これまたあの気障な笑顔で平然とやり過ごした。
そして…。
「それにねえ。一番苦しいときに助けてくれる人というのは大事なんだよ。絶好調のときにはみんな尻尾振って寄ってくるだろ。形勢が悪くなれば寄り付かなくなるどころか切ってしまう。苦しいときにこそ本当に周りの人間が見えるんだ。特に選挙で落選した人たちには、この世界は冷たいからなあ。オレみたいのが一人いてもいいんじゃないの(笑)」
当時、自民党本部で遊説を担当していた職員は、
「橋本さんほど全国を応援で回った人はいない。スケジュールの調整が大変だった。でも、ふたつの応援日程がぶつかると、『どっちが厳しいの?』と聞かれ、橋本さんは厳しい方を必ず選んでいたのが印象的だった」
と振り返る。
橋本の『こだわり』、『本音』、そして『情』を垣間見た取材のワンシーンだった。
橋本が逝った。
『一匹狼』『鼻っ柱が強い』『気障』…。永田町の記者の中でよく言われた橋本評だ。しかし、私はそんな評価とは裏腹の橋本を多く見かけた。
例えば、国民的人気があると煽てられ全国の選挙遊説でさぞかし良い気持ちに浸っていたと思いきや、実はそうではなかったように…。
橋本は決して順風満帆ではなかった。身内の経世会から総裁選出馬にストップをかけられたり、小泉路線の前身でもある六大改革を打ち出したものの参院選敗北で総理の座を追われたり、そして最後は日歯連事件で政界からも引退。その度に、永田町で多くの政治家やマスコミが橋本に向けたのはバッシングだった。
皮肉にも橋本が語っていたように、「絶好調のときは寄ってきても不利となれば切る」という永田町の無情を、最後まで身に染みて感じ続けたのではないか。
訃報に接しながら、そんなことを思い巡らした。 【文中敬称略】 (S)



